•  戦前から携わり現在も装備品製造を続けている企業が多いのが防衛企業の特徴だが、道のりは順風満帆ではなく多くの課題を抱えているのも事実だ。

     各企業はどのような思いで国防の一翼を担っているのか。現状の確認と企業側に話を聞いてみた。

    コスト上昇などで事業撤退や譲渡が進んだ防衛企業

     日本の防衛産業の特徴として挙げられるのが、軍需専業が多い海外企業に対し、防衛省と直接取引をする川崎重工、三菱重工などの「プライム企業」の防衛部門はその企業の一部門でしかないことだ。

     防衛装備庁の2023年度の調査によると、防衛装備品製造企業の売上総額に占める防衛関連売上額の割合は平均約4パーセントで、全体の売上に対し、低いことが分かる。取引先は防衛省のみでビジネスの拡大が難しく、製造コストは年々上昇。

     そのため19年に入ってから軽装甲機動車などの車両を製作していたコマツ、航空機用ディスプレーの横河電機、新型機関銃の住友重機械工業など過去20年間で100社以上が防衛産業から撤退。日本の防衛力の維持・向上は、課題があるのが現状だ。

    設備投資と人材確保の拡大がこれからの防衛産業の課題に

    2019年、軽装甲機動車(写真上)などを製作していたコマツが撤退を発表。特殊な仕様の装備品は利益を出しにくいため、防衛産業からの撤退や事業譲渡が相次いでいる

     もう1つの特徴が、プライム企業下に膨大な数の中小企業がサプライチェーンを構成している点だ。俗に「戦車は千社」といわれ10式戦車の製造には約1300社、F-2戦闘機は約1100社、護衛艦は約8300社の企業が携わり、その中には売上総額のうち防衛関連の売上額が50パーセントを超える企業もある。

     そのためプライム企業の撤退で、これら中小企業は事業の維持・継承が困難になる。また中長期的なビジョンを描きにくく設備投資も限られ、老朽化した製造ラインや人材確保に頭を悩ませる企業も多いのが課題だ。

    三菱重工業株式会社「日本の安全保障に貢献していきたい」

    画像: 多様化する任務に対応するため、省力・省人化、コンパクト化など、さまざまな要求に応えて開発された『もがみ』型護衛艦

    多様化する任務に対応するため、省力・省人化、コンパクト化など、さまざまな要求に応えて開発された『もがみ』型護衛艦

     1884年に創業され、現在は東京都千代田区丸の内に拠点を構える三菱重工業。戦車は神奈川県の相模原工場、艦艇は長崎県の長崎造船所、戦闘機は愛知県の名古屋航空宇宙システム製作所などで製造されている

     明治・大正期の軍隊の近代化時代から防衛産業に携わり、現在も陸・海・空各自衛隊のさまざまな装備品の開発・生産をしている三菱重工業。歴史、規模ともに日本の防衛産業を代表するメーカーだ。

    画像: 1884年に創業され、現在は東京都千代田区丸の内に拠点を構える三菱重工業。戦車は神奈川県の相模原工場、艦艇は長崎県の長崎造船所、戦闘機は愛知県の名古屋航空宇宙システム製作所などで製造されている

    1884年に創業され、現在は東京都千代田区丸の内に拠点を構える三菱重工業。戦車は神奈川県の相模原工場、艦艇は長崎県の長崎造船所、戦闘機は愛知県の名古屋航空宇宙システム製作所などで製造されている

     三菱重工業は自社の強みを「航空機、艦艇、特殊車両など、自衛隊の全ての領域で防衛に関わる製品だけでなく、ロケットなど宇宙にもおよぶ装備品を開発できる技術力を有している」と語る。

     10式戦車、F‐2戦闘機などの主力装備品生産に加え、最近では『もがみ』型護衛艦、『たいげい』型潜水艦、12式地対艦誘導弾など「安全保障3文書」の「防衛力整備計画」で示された7つの重視分野に沿った装備品の製造に積極的に取り組む。

     今後の計画も「防衛・宇宙部門の担当人員を増員していく」と同社の防衛産業部門はさらなる活況を見せている。

    株式会社SUBARU「現場の期待に応えていかなければならない」

    執行役員、航空宇宙カンパニープレジデント兼宇都宮製作所長齋藤義弘氏。「空自のブルーインパルスやF-2、C-2、海自のP-1などの翼も手掛けています。実は『翼のSUBARU』なんです」

     会社の起源は戦前の航空機メーカー中島飛行機株式会社にさかのぼるSUBARU。自衛隊発足時から防衛産業に参入し、1958年に航空自衛隊の中等練習機T‐1を開発、60年代からはヘリコプター事業を始め、62年に陸上自衛隊の多用途ヘリUH−1Bのライセンス生産(注)を開始した。

    画像: UH-1と比較して航続距離、速度ともアップしたUH-2。増産が進み今後20年間で約150機が配備される計画だ

    UH-1と比較して航続距離、速度ともアップしたUH-2。増産が進み今後20年間で約150機が配備される計画だ

     その後継機UH−2も2019年から納入しており、現在陸自が保有するヘリの半数以上がSUBARU製だ。ほかにも海上自衛隊の練習機T−5や空自の練習機T−7も開発している。航空機事業に強い同社が誇るものを齋藤航空宇宙カンパニープレジデントに伺うと「技術力」という答えが返ってきた。

    「UH−1からUH−2に機種が変わるにあたり、双発エンジン、4枚ブレードのメインローター、最新のグラスコックピットなど最新技術を採用しました。私たちは現場の声を聞き、隊員の要望も取り入れ、UH−1の良さはそのままに、最新技術を盛り込んで開発をしています」

    新明和工業株式会社「防衛産業は誰かがやるべき必要なこと」

    常務執行役員、航空機事業部長望田秀之氏。20年近くUS-2に関わってきた。「US-2の初飛行はそれまでのことが頭をよぎり、感慨深かったです」

     高さ約3メートルの荒波でも離着水が可能な、波の勢いを弱める波消し装置や損傷を防ぐ機体性能を備えた、世界に誇る装備品である救難飛行艇US−1を開発。その後継機US−2。その開発・製造を行う新明和工業は、1920年から旧軍の水上飛行艇を作ってきた。

    画像: 水陸両用の救難機を運用するのは世界でも日本だけ。US-1と合わせて1000回以上救難活動をしている

    水陸両用の救難機を運用するのは世界でも日本だけ。US-1と合わせて1000回以上救難活動をしている

     戦後は67年の対潜哨戒機PS−1、75年には日本初の水陸両用機である救難飛行艇US−1 は、悪天候でも着水が可能な機体の安定性や、わずか約330メートルで着水、約280メートルで離水できる短距離離着水能力、約4700キロメートルの航続距離など、海に囲まれ離島が多い日本には欠かせない救難機として活躍している。

     実際に現場に出掛けて隊員の声を聴く機会も多いという望田航空機事業部長は「防衛装備品の開発・製造は誰かがやらねばならぬことだと思っています。これに関われることは非常に名誉なことです」と語る。

    (注)外国企業が開発した装備品について、日本企業が契約を結び、設計図などの技術資料や使用許諾を得て生産すること

    (MAMOR2025年3月号)

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

    <文/古里学>

    どうなるどうする日本の防衛産業

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