•  わが国の空の安寧を70年間にわたって守り続けてきた航空自衛隊。

     私たち国民が、平和に暮らせるのも、空の守護神が常に目を光らせているからだ。感謝とともに、お祝いをお伝えしたい。

     世界トップレベルの力を持つまでに成長した空自はどのような活動をしてきたのだろうか。特に重要なエピソードを交えつつ70年の歴史を一挙に紹介しよう。

    自衛隊で最も新しい組織。防衛庁設置と同時に創隊

    画像: 自衛隊で最も新しい組織。防衛庁設置と同時に創隊

     航空自衛隊は、1954(昭和29)年7月1日、新設された防衛庁と同日に創隊された。陸上自衛隊、海上自衛隊と比べ最も新しい部門であり、かつ、全くのゼロから組織をつくり上げていったのである。

     創隊当初は、アメリカ空軍から供与された練習機を中心とした装備であった。56年9月にはF‐86Fジェット戦闘機の国内生産初号機を導入するなど、次第に陣容を整えていった。

    画像: 緊急発進の訓練を行う航空自衛隊の隊員ら。1958年に対領空侵犯措置の任務が付与され、同年5月13日に初の緊急発進が実施された

    緊急発進の訓練を行う航空自衛隊の隊員ら。1958年に対領空侵犯措置の任務が付与され、同年5月13日に初の緊急発進が実施された

     創隊から4年が経った58年2月からは、わが国の領空を侵犯する恐れのある外国の航空機や、領空侵犯した外国の航空機に対して、戦闘機を緊急発進(スクランブル)させて対処を行う対領空侵犯措置を開始。

     同年5月13日には、初のスクランブル(緊急発進)が行われた。60年には、当時日本返還前だった沖縄を除く全国で対領空侵犯措置態勢が取られるようになり、ようやく、日本の空を自衛隊の手で守ることができるようになった。

     同じ60年、アクロバット飛行を行う、ブルーインパルスが誕生。その後、64年10月の東京オリンピック開会式で空に五輪のマークを描くことになる。71年には、空自に地対空誘導弾「ナイキ」の部隊が創設、運用を開始するなど高射部隊も強化されていく。

     主要装備である戦闘機も、F−86FからF‐104、F−4と新しくなっていき、東西冷戦という世界情勢のもと、空自は次第に戦力も充実していった。

     冷戦末期の87年12月9日には、領空侵犯した旧ソビエト連邦の偵察機に対し、スクランブル発進したF−4ファントム戦闘機が、実弾による初の警告射撃を行うなど、東西陣営の最前線・日本列島において、空自は日本の空を守りぬいた。

    冷戦の終結、そして世界に貢献する「新任務」への対応

    画像: カンボジア国際平和協力業務(1992年)は、わが国初の国連平和維持活動。写真は、カンボジア派遣部隊の編成完結式

    カンボジア国際平和協力業務(1992年)は、わが国初の国連平和維持活動。写真は、カンボジア派遣部隊の編成完結式

     東西冷戦終結、そして旧ソ連崩壊。日本を取り巻く安全保障環境も大きく変わった。そんな中で、92(平成4)年、国会で成立した「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」、通称PKO協力法に基づき、空自の輸送機が初めて海外・カンボジアに派遣された。自衛隊による国際貢献活動の始まりである。

     以降、「国連兵力引き離し監視隊」、「ゴラン高原国際平和協力業務」、「ホンジュラスやインドでの国際緊急援助活動」、「アフガニスタン難民救援国際平和協力業務」などに取り組む。加えて、アメリカ同時多発テロ事件(2001年)以降は、テロ対策特措法に基づく活動を実施。

     その後も世界各地での国際緊急援助活動をはじめ、多国間共同訓練への参加など、空自の活動範囲は世界へと広がっていった。

     一方国内でも、1995年には阪神・淡路大震災に伴う災害派遣、2011年には東日本大震災に伴う災害派遣などで国民の命を守る活動を実施。

     そして21世紀、無人偵察機をはじめとする新たな装備の導入のほかにも、大きな変化が起き始めた。20年の宇宙作戦隊新編、22年の宇宙作戦群新編と、宇宙防衛分野へ空自の担当領域は広がったのである。さらに27年度までに「航空宇宙自衛隊」に改称予定だ。

    (MAMOR2024年7月号)

    <文/臼井総理 写真提供/防衛省>

    ありがとう、航空自衛隊!

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

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