昨年、MAMORが実施したアンケート(※)の結果を見ると、日本の若者の国防意識は決して高くないようです。しかし、わが国にも、国防のために役立ちたいと10代から自衛官になるための学校に自ら入学する若者もいるのです。
※「日本が侵略されたら戦う?」戦わないは7割、若者の意識に変化はあったのか(2022-11-02配信)
同年代の者が青春を謳歌する“遊び盛り”の若者たちが、なぜあえて苦難の道=厳しい訓練、団体生活、規則に縛られた生活を選んだのか。元海上自衛官の作家、時武里帆さんが学生の秘めた思いに迫ります。
創立70年。将来の幹部自衛官を育成する教育機関
海外の士官学校にあたる防衛大学校は、名実ともに自衛隊を指揮・けん引する幹部自衛官養成学校である。学生たちは日本で唯一防大だけで教える防衛学を学び、学問だけでなくリーダーとしてのふるまい、人間性なども高めていく。
将来の幹部自衛官に必要な知識を学ぶ
防衛省の教育機関である防衛大学校の前身は、神奈川県横須賀市に1952年に設置された保安大学校。54年に現在の校名に改名され、将来の幹部自衛官を育成している。
防大は全寮制。一般の大学と同じ4年制で大卒の学位も得られる。全学生は学生隊に所属している。学生生活の1年目は教養課程や外国語などを履修し、2年目からは卒業後に陸・海・空どの自衛隊に進むか進路が決まり、理工学および人文・社会科学の専攻を選ぶ。
安全保障や軍事史、リーダーシップなど軍事組織において必要となる考え方などを学ぶ「防衛学」は日本では防大で唯一教えているのが教育の特徴だ。
待遇は特別職国家公務員で授業料や衣食住の生活費が無料のほか、毎月の手当(11万7000円)と年2回の期末手当が支給される。卒業後は曹長となり、陸・海・空の各自衛隊の幹部候補生学校に入校し教育訓練を受ける。防衛大卒業後約1年で3尉に任官する。
防衛大学校生105人に聞きました
高等工科学校と同様に「自衛官になりたかった」と回答した割合が多い防大への志望動機。自衛官に必要な訓練や授業を通して国防意識が変化したという回答も多かった。
未来を見据えて防衛大学校に進んだ2人の本音「部隊を指揮する自衛官になるために」
卒業後は陸・海・空各自衛隊の指揮官である幹部自衛官に任官する防衛大学校の学生。彼ら、彼女らは、さまざまな思いで防大の門戸をくぐっている。どのような思いで入学をしたのか、入学後に気持ちは変化したのか、どんな未来を見据えているのか。2人の学生に本音を聞いてみた。
「諦めきれなかった防大の進学。何事も全力でチャレンジする」
【国際関係学科3学年 深澤礼香学生(ふかざわ れいか)】
2000年生まれ。20年入学の68期生。千葉県出身。入学当初から体力錬成に励み、体力検定1級を維持し続けている
海自に入隊後も目指した防大の道
東日本大震災における自衛隊の献身的な救助活動を見て心引かれた深澤礼香学生は、中学時代から自衛官を熱望していた。当初は高等工科学校進学を考えたが、男子校と知り断念。地元の高校に進学し防大の推薦入試を受験したものの、不合格だった。そのため高校卒業後、海が好きだった深澤学生は海上自衛隊に入隊。教育隊で訓練を受けたのち、大村航空基地で航空機整備の任務に就く。だが防大への夢を諦めきれず、余暇や休日を使って猛勉強し晴れて合格した。
熱望して入学した防大で最も興味があるのは、ここでしか学べない防衛学の授業。作戦全般に関する知識や現代の統合作戦について学ぶのが楽しいと話す。自分が指揮官だったらどういう作戦を執るかイメージしながら国防意識を高めている。
また、印象に残っているのはカッター競技会(長さ約9メートルのボートを12人で約2キロメートルこいでタイムを競う競技)。男女混合のため負荷の大きいバウ(艇首側)は男子がこぐのが当たり前とされていた。しかし深澤学生は「女子はバウをこげないという固定観念を打ち破りたい」と海自の教育隊時代も担当したバウを志願しこぎ切った。
何でも楽しむマインドの深澤学生だが、自分のミスで連帯責任となり同期に迷惑をかけるのがつらかった。同期をランニングに誘い、悩みを打ち明けたこともある。話を聞き、自分のために泣いてくれる同期には支えられている。
防大卒業後は海自のヘリコプターパイロットを志望。部隊研修などで現場を見ると、任官意欲が高まる。自衛官として任務に就く自分を想像しながら、深澤学生は今日も挑戦し続けている。
「困難が成長の機会になる。ここでしかやれないことをやる」
【応用化学科 4学年 村井勇介学生(むらい ゆうすけ)】
2000年生まれ。19年入学の67期生。埼玉県出身。父親は元航空自衛官。内向的な性格を変えたかったことが入学理由の1つ
思いがけず入学した防大で得た気付き
村井勇介学生は防衛大学校への入学は考えてもいなかった。第1志望の国立大学に落ち、残った私大か防大かで迷った末、学費の負担がかからない防大に進学を決めた。
当初、まさか自分が防大生になると想像していなかったが、防大進学を決めてからは「ここでしかできないことをやりたい」と気持ちが切り替わった。1学年のうちから長期勤務学生(防大の全学生で編成される学生隊〈大隊・中隊・小隊から成る〉の中で各隊のリーダーを務める学生長やその補佐に当たる学生長付といった役職に就く学生たちの総称)として小隊学生長付に立候補したのも、そうした思いからだった。
2学年時も小隊学生長付となったが、自身の勉強や訓練、後輩の1学年の指導、小隊の2学年をまとめる多重タスクに悩まされた。3学年時には学生隊学生長を(学生隊のトップ)を補佐する学生長付を務め、学生隊全体(マクロ)の視点と大・中・小隊(ミクロ)の視点の両方で考え指揮する難しさを実感した。
現在は第2大隊の学生長として約500人の学生を率いている。このことを地元の友人に話すと、皆驚くという。「高校時代の私はそういうキャラではなかったので……」と照れくさそうに話す村井学生。学生隊で人を指揮する経験は自信になり、実際に部隊で指揮をする自分をイメージする。村井学生は、学生舎生活で少しずつ意識が変化していることにも気付いた。「人を動かす難しさと、成長できる機会を与えてもらえたのが、この学校に入って良かったことです」と話す。
父の背中を追いかけ同じ航空自衛官に
村井学生には、防大に入学したらやりたいと思っていたことがあった。それは学生が有志で主催し、防大から東京の靖国神社まで約68キロメートルの道のりを夜通し歩き続ける「東京行進」。もう1つは、一般の大学における学園祭に相当する開校記念祭で行われる名物「棒倒し(敵陣の棒を倒す大隊対抗の競技。各大隊約150人が防御要員と攻撃要員に分かれてぶつかり合う)」だ。
新型コロナウイルス感染症の影響で行事の中止が相次いだが、棒倒しは昨年経験できた。東京行進は、この秋初めて参加する。「防大での生活も残り約半年。同期も卒業後は陸・海・空各自衛隊に分かれます。任官後を見据えて心の準備をしつつ、学生生活や行事を通して交流をもっと深めたい」と話す。
防大に入学し、初めて意識した国防への思いはさらに強くなっていると話す村井学生。この気持ちを胸に秘め、卒業後は元航空自衛官の父と同じ空自に進む。目指すのはF−35戦闘機のパイロット。道のりは厳しいが、力強い視線は決意に溢れていた。
【時武里帆】
1971年神奈川県生まれ。94年、海上自衛隊入隊。練習艦『みねぐも』(現在は除籍)に
勤務後、退職。2014年小説家デビュー。最新作は『試練 護衛艦あおぎり艦長 早乙女碧』(新潮社刊)
<文/時武里帆(学生インタビュー)、古里学 写真/伊藤悠平>
(MAMOR2022年12月号)