人類を脅かすパンデミックを引き起こした新型コロナウイルス。国内で初めての感染者が発表されたのは2020年1月16日。その後、数度の緊急事態宣言を経ても収束の見通しは立たず、オリンピック開催が迫る中、ワクチン接種が急務とされました。
しかし、先進諸国に比べてなかなか進まないワクチン接種、窮余の策として東京と大阪に設置されたのが自衛隊大規模接種センターです。短期間で大規模会場を設置し、運営できるのは自衛隊しかない、と、内閣総理大臣が命じたのは21年4月27日。その後、5月24日には接種が開始されました。
自衛隊による史上初となる作戦を、作家・杉山隆男が、自ら大手町にある東京センターに足を運び、2回の接種を体験したルポルタージュを3回にわけてお届けします。今回は前編です。
オフィス街に現れた「最後の砦」
改札口を出た私は軽い興奮の中にあった。地下の連絡通路のあちこちには係員が立ち、『自衛隊東京大規模接種センター』と書かれたプラカードを掲げている。壁や通路の支柱にも『自衛隊東京大規模接種センター↑』の貼り紙がしてある。
ここは、日本を代表する巨大企業や海外の投資銀行がオフィスを構える、日本のビジネスセンター、大手町である。地上に出れば、仰ぎ見るような超高層ビルがそびえ立ち、頭上の空を四角く切りとる風景はニューヨークのマンハッタンを彷彿とさせる。その大手町で、自衛隊が一大オペレーションを展開しているのだ。
戦後の長きにわたって自衛隊員は世間の厳しい視線にさらされ、どんなにいわれない批判を浴びようと、ひたすら忍の一字で黙々と己の職分を果たしてきた。愚直であれ、と自らに言い聞かせているような生き方だった。半世紀以上昔の、そうした自衛隊にとって冬の時代だったら、日本経済のメインストリートに「自衛隊」の文字が堂々と並ぶさまは想像できなかっただろう。だが、かつて社会からなかなか正当な居場所を与えられなかったその自衛隊が、今や国民を守る「最後の砦」となって、新型コロナワクチン接種一大プロジェクトをこの「晴れ」の街、大手町で起ち上げたのである。
まさに隔世の感、今更言うことではないかもしれないが、紛れもなく時代は変わったのだ。<自衛隊が、大手町で……>。私の興奮はそこから来ていた。
混乱なくスムーズ。自衛隊の大規模摂取
接種会場の合同庁舎3号館に近づくにつれて地上への連絡出口からはわらわらと老人の群れが湧いてくる。68歳の私よりさらに高齢と見受けられる人達が多く、夫婦とおぼしきカップルもいる。さすがに大手町という場所柄のせいか、誰もがよそゆきの、小ぎれいな格好をしている。
自治体の接種会場の混乱ぶりを報道で知っていた私は、自衛隊会場でも受付に列ができていて、ある程度待たされることは覚悟していた。
が、予想はいい意味で裏切られた。人の流れが実にスムーズなのだ。接種の本会場である庁舎の前にはプレハブが建ち、検温や予約の確認、保険証、免許証などを提示しての本人確認をここで済ませる。プレハブの入り口はいくつかに分かれ、接種者は、空いていそうなところを選んで、どこからでも好きなところから入ることができる。私は左端の入り口から入った。センサーでの検温から本人確認終了までは縦一列の流れで、隣の入り口から入った接種者の列とはテーブルで仕切られ、交じることはない。最後にチェックの済んだ予診票などは青のクリアファイルに入れて、手渡される。
隣の入り口から入った接種者の列を見ると、全員赤のファイルを手にしている。その隣は黄色、さらに隣は緑のファイルと、それぞれの入り口ごとに列は色分けされている。
「青のファイルを持った方はそのまま奥に進んでください」
誘導員の指示で私は奥にもう一棟あるプレハブに入っていく。縦に7つの椅子が並べられ、私を含めて順々に座っていく。椅子が埋まったところで青のファイルを手にした8人目の人は別の空いている列の椅子に案内される。
摂取会場に生まれた一体感
私たちの両脇にはすでに赤や黄色のファイルをそれぞれ手にした7人が着席している。
「では赤のファイルの方、前の方に続いてお進みください」
隣の列の椅子から7人が起立し、赤色のベストを着た誘導員が接種会場である隣の合同庁舎へと先導する。7人はしっかり縦列をつくって歩いていく。列を乱す者はいない。次に黄色の7人。その黄色の一団がプレハブから出て行くのを見届けてから、青色のベストを着た誘導員が声を掛ける。「では青の方、どうぞ」。
私たちは一斉に立ち上がる。「番号ッ」と号令がかかったら、思わず先頭から、イチ、ニィ、サン……ロク、ナナと応えそうなくらい、息が合っている。
たった今一列の椅子に座っただけの、全く見ず知らずの7人なのに、7人1組になって列をつくって歩くだけで、不思議とある種の一体感が生まれている。われ先にと急ぐ人はなく、私たちは列を乱さず誘導員の後に整然と続いた。
どこかで見たような景色だなと、ふと考えて、そうだ、と思い当たった。分列行進だ。元をただせば小学校の朝礼の時の整列である。今の小学校ではどうかわからないが、少なくとも私たち高齢者が小学生だった60年以上前は、朝礼がある日には、校庭に学級ごとに縦列をつくって整列し、朝礼が終わると縦列のまま行進して教室に戻っていった。日本人の高齢者ならその整列のDNAが誰しも体内に組みこまれている。それが久しぶりに目覚めて、体がひとりでに反応しているようでもある。
大規模接種「作戦」のコンセプトとは
私たち7人は列を作ったまま、青色のベストを着た誘導員に従って、迷路さながら複雑に折れ曲がった狭い通路を進む。やがて少し広いフロアに通される。ここでも縦に7つの椅子が幾列にも並べられ、色違いのファイルを手にした接種者が7人ずつ座っている。ここがエレベーターに乗るまでの待機場所だった。だが、私たち青の7人は椅子に腰を落ち着ける間もなくすぐに呼ばれた。
「黄色や緑の方はもうしばらくそのままお待ちください」
エレベーターホールには6基のエレベーターがあり、私たちが向かうと、ちょうどひと足先に呼ばれていた赤のファイルの人たちを乗せたエレベーターのドアが閉まったところだった。時間差攻撃というやつか、赤と私たち青のグループは絶妙のタイミングで鉢合わせすることはなかった。
なるほど、そういうことか。私には、自衛隊がプロデュースする大規模接種「作戦」のコンセプトが少し見えてきたような気がした。
接種者をまず7人の小グループに分け、実際に予診や接種が行われる会場までこの7人をひと固まりとして移動させる。作戦の要諦は7人を、別のグループの7人とは決して交じらないようにすること。合同庁舎のエレベーターホールは通路並みに狭い。そこで7人のグループがいくつも鉢合わせすることになったら、たちまちごった返して、収拾がつかなくなる。別の7人の中に紛れてしまう人もいるだろう。老人ばかりだから「迷子」になる恐れは格段に高い。どのタイミングで7人を案内すれば別のグループとかち合わずに済むか、間合いを見計らいつつ誘導することは、混乱を防ぐのに欠かせない。
そのために誘導員とは別のスタッフや夏服姿の自衛官がエレベーターホールや待機場所の要所要所に立っていて、スマホなどで連絡を取り合っている。赤がエレベーターに乗ったら、次は黄色ではなく、すでに一足先に空のエレベーターが戻ってきている青を優先する、というように、臨機応変に指示を出して、空港で離着陸をコントロールする管制官さながら交通整理を行っているのだ。
何げなくホールの床に目をやると、私たちが乗るエレベーターに向かって青い矢印のシールが貼られている。さっき赤の7人が乗った隣のエレベーターに向かっては赤い矢印が床に引かれている。こうしておけば、違う色のグループに迷いこみそうになったらすぐわかる。7人を、手にしたクリアファイルによって赤、黄、青、緑と色分けするのは、誘導員やスタッフからもそれぞれグループごとの見分けをつきやすくするためといえる。
ノンフィクション作家がみた自衛隊大規模摂取
私たち青の7人は7階で降ろされた。通路や壁のあちこちに青いシールが貼られ、さらにスタッフは全員青色のベストを着用している。文字通り青ずくめの7階は青専用の接種会場だ。
合同庁舎内には2、4、7、10階にそれぞれ接種会場が設けられている。7階が青のファイルを持つ接種者専用になっているのと同じく、2、4、10階も色分けがきっちりされて、それぞれ緑、黄、赤のクリアファイルを手にした人達専用の会場となっている。エレベーターを7階で降りた私たち7人は誘導員に先導され、再び縦一列になって、いよいよ予診や接種の本会場に入っていく。
プレハブでの受付からここまで10分とかかっていない。その間の手続きや誘導、移動といった流れはシステマティックで無駄がなく、何よりも統制がとれている。それは予診、接種、経過観察と続く、どのステージでも変わらなかった。
本人が予め記入した予診票に記入漏れがないか、看護官らがチェックしたあと、予診の会場では医官が接種者1人1人に問診を行う。特に持病も既往歴もない私は短時間で終わったが、周りを見ていると、「おくすり手帳」を持参して副反応への不安を口にする老人もいる。医官も時間をかけてじっくり聞いている。接種者によって問診の時間は個人差が出るため当初エレベーターに乗ってきた7人がひと固まりで動く場面はなくなった。ただ問診でも接種でも、会場の待機の椅子は縦一列に並んでいて、接種者は先頭から順に座っていき、係員の指示で空いたブースに次々振り分けられる。
筋肉注射を受けるのは久しぶりだが、看護官の小気味いいほどの手さばきで瞬時に完了、痛みもほとんど感じなかった。接種を受けた時刻を記したメモが渡され、接種済み証明書の交付を受けた後、経過観察の会場に案内される。具合の悪そうな人には看護官らが声をかけ、別室や救護所で医官が対応する。接種の15分後、各自先ほどのメモを出口の係員に渡し、エレベーターホールに向かう。ここでも交通整理は完璧なまでに行われていて、右往左往する接種者でいわゆるボトルネック、人の流れが滞る混乱とは無縁だった。
直接接種者を案内するのは民間企業から派遣されたスタッフだが、少し離れた場所には自衛官が立って、会場内を俯瞰する形でさまざまな指示を出している。そして白衣を着た自衛隊ナースの看護官は順番待ちしている接種者に目配りを欠かさなかった。
自衛隊による大規模接種の模様を伝えるヤフーニュースのコメント欄には、<さすが自衛隊、やることがテキパキしている>、<きびきびして、全ての流れがスムーズ>と、現地での感想が書きこまれていた。私の知り合いの出版社編集者も、接種対象が高齢者だけでなく一般に広げられてから大手町に足を運んでいる。その全員が、運営の段取りの良さ、スピード感に圧倒されていた。職業柄、日頃から何かにつけ物事をシニカルに捉えがちな彼らの目にもそう映ったのである。
【杉山隆男氏】
1952年、東京都生まれ。読売新聞記者を経て作家に。自衛隊および自衛官に自ら体を張って迫り、その内部を綿密に描いたルポルタージュ『兵士シリーズ』が代表作。96年に『兵士に聞け』(新潮社)で新潮学芸賞を受賞。現在本誌にて、『兵士シリーズ 令和伝 女性自衛官たち』を連載中
(MAMOR2021年11月号)
<撮影/山川修一(扶桑社)>