航空機が滑走路に離着陸するためには、管制塔からの指示やレーダーによる位置確認などの管制業務が必要だ。有事の際、あるいは災害などで空港の管制機能が失われたり、定期的なメンテナンスで管制機器を止めるときなどに、関連機器一式を運搬・提供して、管制業務の継続をフォローする日本で唯一の部隊が、航空自衛隊百里基地(茨城県)に所在する移動管制隊である。
移動管制隊は、有事や災害時の緊急出動はもちろん、訓練においても遠く離れた地域まで遠征する、航空機を運用するためにはなくてはならない存在だ。実際にどのような実任務にあたり、どのような部隊を目指しているのか、話を聞いた。
任務遂行、継続のために航空管制最後のとりでとなる
移動管制隊の前身は1992年に千歳管制隊(北海道)に、93年に三沢管制隊(青森県)に創設された移動管制班である。
この2つの部隊を合同させた移動管制隊は、2003年3月に航空支援集団航空保安管制群の隷下として百里基地で発足した。部隊編成は総括班、管制班、整備班からなり、隊長の滝本2佐ら幹部4人を含む隊員約40人が所属している。小規模の部隊ながら空自唯一の部隊としてその展開するエリアは広い。
主に航空機を運用する空自にとって、有事や災害時における飛行場の管制機能の復旧・継続は最優先事項である。そのため、いつでもどこでも駆け付ける移動管制隊は頼みの綱であり、航空管制の最後のとりでだ。
滝本2佐が、「われわれは装備品だけではなく、最後まで戦い抜く強い意志をも一緒に運んでいる」と力強く語るのも当然であろう。
実際に11年の東日本大震災のときは、松島基地(宮城県)の固定式ラプコン装置が被災したため、移動管制隊が機動して移動式ラプコン装置を展開。14年までの3年間にわたり、隊員が交代で保守整備のため常駐した。
また08年の洞爺湖サミットでは、そのエリアをカバーしていた千歳基地の管制機能のバックアップとして派遣され、会場付近で待機した。
ブルーインパルスが飛ぶような大型イベントなどでは、上空からの目印となるように移動式タカン装置を設置することもあるという。また、災害などに備え、隊員のロッカーにはあらかじめ緊急出動に必要な荷物が準備されているそうだ。
少数精鋭で多くの演習に参加。マルチスキル化が求められる
移動管制隊は少数精鋭を公言するだけに、常に多様な訓練を行っている。数センチメートル単位で大型車両を移動させ、重量のある機器を積み降ろしするため、基地内で検定官を同乗させての車両の操縦試験に合格しないと、機動展開における操縦手を務めることはできない。また部隊の性質上、さまざまな演習にも参加している。
例えば、移動管制隊の上位組織である航空支援集団により、毎年、八雲分屯基地(北海道)で行われている「即応機動(CR=Contingency Response)総合訓練」への参加がある。各管制隊の管制官や整備員、移動気象班、輸送航空隊などが参加するこの訓練では、機能を喪失した飛行場などを応急的に復旧させるため、滑走路の調査や給油装置の展開などとともに、管制、気象の移動機器の速やかな運用と撤収を行う。
また、最低限の人員と機器で緊急事態に柔軟に対応するために、参加隊員の多くは特技の範ちゅうを超えて活動できる隊員で、移動管制隊も積極的にマルチスキル化訓練を実施している。これに加え23年には、徳之島(鹿児島県)で行われた陸・海・空3自衛隊による大規模な統合演習にも参加し、北から南まで活動範囲を広げている。
移動管制隊の活動は外国軍からも注目されており、23年10月には航空管制の能力向上を図っているモンゴル空軍との専門家交流を実施し、来日した大佐以下4人との間で活発な意見交換を行った。
また同年7月にアメリカ空軍が主催した多国間共同訓練「モビリティ・ガーディアン23」にも参加し、アメリカ軍の同様の部隊と交流したが、能力的には同等だったと管制班長の内山1尉は振り返る。
今後の課題について滝本2佐は、さらなる機動力の向上と省人化、そのための隊員のマルチスキル化を挙げる。
「われわれ移動管制隊には、限界はないと信じていますから」。そう力強く語る。
(MAMOR2024年4月号)
<文/古里学 撮影/星 亘(プロフィール写真)写真提供/防衛省>
※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです