日本が外国からの侵略を受けた場合、最後の砦となるのが、わが国土を地上戦で守る陸上自衛隊だ。その任務を担う部隊は、あらゆる事態に備えてさまざまな訓練をしているが、実戦を想定した戦闘訓練を企画し、敵役を務める部隊がいる。その名も「部隊訓練評価隊」。
彼らの役目は国防の最前線に立つ部隊を鍛え上げること。そのためには、自身が最強でなければならない。国防の魂を燃やす強者どもの訓練に同行した。
陸上自衛隊の最強部隊、「部隊訓練評価隊」とは
部隊訓練評価隊は、山梨県の北富士駐屯地に本拠を置く、陸上自衛隊唯一の「評価専任部隊」である。
全国の普通科部隊の「敵役」として訓練を実施。実弾の代わりにレーザー光線によって命中判定を行う装置などを含む「機動訓練評価装置」をはじめとする各種器材を備え、訓練内容の記録や分析のための施設を持ち、訓練の統裁(仕切り)と、訓練内容・結果の分析、評価を専門に行う。
部隊訓練評価隊には、訓練を仕切り、評価分析を行う隊本部のほか、戦車・火砲などで増強された普通科部隊の訓練相手となる対抗部隊として、普通科部隊に戦車などを加えた「評価支援隊」(静岡県の滝ヶ原駐屯地に所在)がある。これこそ、陸自最強の呼び声高い部隊なのだ。
2002年に新編されて以来20年以上、約450回もの訓練を行う中で、負け判定をされたのは19年の第39普通科連隊(青森・弘前駐屯地)との訓練の1度だけ。全国の精強な部隊をも退けているという。
北富士演習場で繰り広げられた「評価支援隊」の対抗訓練に密着
部隊訓練評価隊は、北富士駐屯地近くの「北富士演習場」をいわば道場として用い、全国各地の部隊を受け入れて戦闘訓練を行うほか、コロナ禍で最近はなかなか実施できないものの、対抗部隊(評価支援隊)側に全国の部隊から集まった隊員を受れ入れ、共に戦いながら教訓を与える訓練も行っている。
今回取材したのは、他部隊との訓練ではなく、評価支援隊同士の戦闘訓練。定例の人事異動があり、新しい人員が転入してきたことから、錬成のため部隊内で攻撃・防御に分かれて訓練を行うことになったのだ。陸自最強部隊の「稽古」が取材できる貴重な機会とあって、われわれマモル取材班も緊張感を胸に、北富士演習場へと向かった。
2夜3日、昼夜ぶっ通しで行われる対抗訓練。入念な準備や作戦会議を経て戦闘が始まる3日目、夜明け前。攻撃陣がいよいよ本格的に動き始める。攻撃開始からの“戦況”を攻撃陣、防御陣それぞれの立場からお届けしよう。
実弾を使わない戦闘訓練。命中はどうやって判定する?
対抗訓練は、北富士演習場の敷地内を戦場とみなし、防御側、攻撃側に分かれて戦う。攻撃側は、防御側の部隊を撃破し最終陣地を突破できれば勝ち、逆に防御側は最終陣地を一定時間守り切れたら勝ち、というルールだ。
訓練の期間は準備からじ後の研究会まで入れて6日間だが、実際に戦闘訓練を行うのはそのうち3日程度。参加する人員は、攻撃側約240人、防御側約90人の合計約330人。これに戦車、装甲車などの車両が加わる。
戦闘訓練では実弾を撃つのではなく、小銃や機関銃は空包を撃ち、戦車の大砲は音と煙で模擬される。当たったかどうかの判定は、それぞれの火器に取り付けられた「レーザー光線送受信装置」を使い、機械が自動的に行う。
また、迫撃砲や特科の大砲などは、コンピュータによって射撃の入力から命中判定までを行う。訓練には「部隊評価分析官(OC)」と呼ばれる訓練内容のチェック役が50人ほど同行する。
今回は戦闘訓練開始後、それぞれの陣営が準備を開始。ドローンや斥候による偵察を互いに行った上で、双方が作戦を練る。そして、模擬的な砲撃を皮切りに攻撃が開始され、防御側はそれに対抗する……という流れで進んでいく。
防御陣:敵は3倍以上の人数
決戦前日 PM3:00
軍事の世界では、「攻撃3倍の法則」と呼ばれる、戦闘は防御側が有利であるとするセオリーがあり、攻撃には最低でも防御側の3倍の戦力を用意することが求められる。対抗訓練でも防御側は、3倍以上の人数の敵と戦う。
決戦想定の前日、攻撃陣より一足先に演習場に入り防御態勢を固める防御陣。司令部の天幕では、各部隊の小隊長クラス(注)が集合。現在の配備状況や防御準備の進捗を報告し、作戦面を話し合う。最後に、防御戦闘時の退路の確認など、指揮を執る中隊長による指導が行われた。
(注)10~30人程度の小規模な部隊を指揮する小隊長や、同等の役割を持った隊員たち
決戦当日 AM5:00
夜明けごろから攻撃陣の動きが増えてきた。前線に張り付いて敵部隊の動向を見張る隊員。夜明け前から攻撃側の砲撃が始まっており、中には敵の砲迫による射撃を受けて戦線離脱と判定される隊員も出てきた。
攻撃部隊を待ち構える90式戦車。戦車の乗員たちはこの後、手分けして草や枝を集め、遠くから戦車の姿が見えないように擬装していた。前部に据え付けてある黄色と緑の旗のような模様のプレートは、この戦車にドーザ(土砂などを退かせる装備)が付いているという想定を示す。
防御用の鉄条網が設置された。比較的簡単に設置できる上、敵人員などの足止めに効果的なため、防御アイテムとして重宝されている。
攻撃陣:損害を最小限に、敵の陣地を突破する
決戦当日 AM3:00
攻撃陣の目標は、防御陣の撃破。その後、新たな敵部隊と戦う想定のため、できるだけ損害を少なくせねばならないという条件付きだ。すでに開戦前夜には少人数の斥候(偵察)が防御陣近くに潜む。攻撃開始は、もうすぐだ。
“戦場”となる北富士演習場。その入り口付近にある「廠舎」エリアに集結する攻撃陣。96式装輪装甲車(WAPC)や軽装甲機動車(LAV)、各種トラックをはじめとする車両が続々と集まってきた。集結後、まずは装備や人員の点検を行う。
決戦当日 AM5:00
防御側が設置しているであろう対戦車壕(装甲戦闘車両の進攻を妨げるための堀)や地雷などの障害を発見すべく、慎重に前進する偵察チーム。フル装備の隊員は20キログラム以上の荷物に加え、小銃などの武器や爆薬も所持。息を殺して歩くだけでも一苦労だ。
敵が設置した戦車壕(白いテープで囲われている部分)を発見。爆薬で破壊し、車両が通れるように処理しなくてはならない。持ってきた爆薬を設置するのは、戦闘支援を任務とする施設科の隊員だ。
障害処理用の爆薬が爆発した、という想定。それを表すために、同行するOCの隊員が、爆竹のような破裂音の鳴るものと、発煙筒を投げ入れる。装輪車は通れないが、履帯を装備した戦車は通れるようになった、という判定が下った。
※訓練の後半は、近日公開予定の「地雷撤去、大規模な銃撃戦も…陸上自衛隊“最強”部隊の戦闘訓練」にてリポートします。
(MAMOR2022年12月号)
<文/臼井総理 写真/臼井総理、荒井健>