•  古来、日本には武道にゆかりのある「心技体」という言葉があります。精神力(心)・ 技術(技)・ 体力(体)を鍛錬し、その3つを調和させることで真価を発揮できるといわれています。東京2020オリンピックで、自衛隊体育学校に所属するアスリートたちが、史上最多となる4種目5個のメダルを獲得しました。コロナ禍で1年延期となり開催の是非が論じられる中、選手たちはいかにして「心技体」の最初に位置する「心」を整え、栄光を勝ち得たのでしょうか?

    柔道女子78キロ級 金メダル/柔道混合団体 銀メダル:濵田尚里選手

    画像: 五輪の決勝で濵田1尉はフランスのマドレーヌ・マロンガ選手と対戦し、寝技で1本勝ちを収めた

    五輪の決勝で濵田1尉はフランスのマドレーヌ・マロンガ選手と対戦し、寝技で1本勝ちを収めた

     全4試合オール1本勝ち。決勝はわずか69秒で決着をつけた。まさに圧巻の勝利で東京オリンピック柔道女子78キロ級を制した。大会時は30歳10カ月、男女を通じ日本柔道史上最年長金メダリストとなった濱田尚里1等陸尉。

    「柔道は金メダルへの期待も大きいですが、私はプレッシャーも感じることなく、オリンピックは落ち着いて臨んでいました。もともと大会のときに緊張するということはないですね。やることをやって臨んで、結果が出ればいいし負けたとしても仕方ないというか」

     そのメンタルを培うことができたのは、自衛隊体育学校の環境にあった。

    「コーチに練習させられるということはなくて、選手の自主性を尊重して取り組ませてくれたことが大きかったですね。だから感謝しています。練習をとことんやるという選手も多いと思いますが、私は『今日はうまくいかないな』と思ったら休みます。大会が終わった後も長めの休みをもらって、柔道を始めたくなったところで再開します」

    オリンピックを意識せず、目の前の大会に専念

    画像: コロナ禍のため無観客、メダル授与の際も自ら首にかけるという異例の状況の中、見事栄光を手にした濵田1尉(写真中左)

    コロナ禍のため無観客、メダル授与の際も自ら首にかけるという異例の状況の中、見事栄光を手にした濵田1尉(写真中左)

     無理強いするのではなく、その選手に即した指導、サポートをする姿勢があり、それが濱田1尉のスタンスにマッチしていた。そもそも自衛隊体育学校に入る時点では「世界で戦いたい」という気持ちはなかったという。

    「柔道を始めたときから、遠い先を目標にしないのは変わらなくて、そのときの実力から見てイメージできる目先を常に目標にしてきました。東京オリンピックが目標と定まったのも2020年になってからです。代表選手に内定する少し前くらいでした」

     多くの選手の場合、大きな目標を胸に抱き、そこから逆算していつまでにどういう練習をすればいいか、どうなるべきかを考えて取り組む。指導する側もそれを奨励することが少なくないし結果も求める。ただ、それが選手には重圧となり、結果を残そうとし、プレッシャーに苦しむ。それとは対照的に濵田1尉は、目の前の大会を見据え、こつこつと取り組んできた。その延長線上にあったのがオリンピックという1つの大会であり、だから重圧とも無縁でいられた。

     オリンピックでは得意とする寝技も冴え渡った。高校時代から練習を続けてきた成果だ。

    「立ち技はセンスも問われると思いますが、寝技はあまり要らないので自分に合っていたと思います」

    結果より楽しむことが大事

    画像: 結果より楽しむことが大事

     時間をかければかけるだけ伸びるといわれる寝技を「世界一」と評されるまで高めたのは自然体でこなせた努力の表れであり、長年、柔道を続けてきたからこそでもある。

    「結果を、というよりも、楽しむことが大事だと考えてやってきました。無理もしないので、行き詰まることなく長く続けてこられたのだと思います」と、柔道人生を振り返る。

     無理しないことで異例ともいえる長いキャリアを築き、無理をしない中でも真摯に取り組んだ。揺るぎない姿勢は一貫したメンタルの表れでもある。それが結実したのが黄金色に輝くメダルだったのだ。

    【濵田尚里1等陸尉】
    1990年生まれ。鹿児島県出身。2013年より自衛隊体育学校に所属。世界選手権で18年に金メダル、19年に銀メダルを獲得。ロシア発祥の格闘技・サンボの世界選手権を制した経歴も持つ

    国守る隊員の心を守れ!

    <文/松原孝臣 撮影/鈴木教雄 競技写真撮影/代表写真JMPA+渡部薫>

    (MAMOR2022年2月号)

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