•  人類を脅かすパンデミックを引き起こした新型コロナウイルス。国内で初めての感染者が発表されたのは2020年1月16日。その後、数度の緊急事態宣言を経ても収束の見通しは立たず、オリンピック開催が迫る中、ワクチン接種が急務とされました。しかし、先進諸国に比べてなかなか進まないワクチン接種、窮余の策として東京と大阪に設置されたのが自衛隊大規模接種センターです。

     短期間で大規模会場を設置し、運営できるのは自衛隊しかない、と、内閣総理大臣が命じたのは21年4月27日。その後、5月24日には接種が開始され現在に至ります。自衛隊による史上初となる作戦を、作家・杉山隆男が、自ら大手町にある東京センターに足を運び、2回の接種を体験したルポルタージュを3回にわたりお届けします。今回は後編です。

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    国内感染初期、未知のウイルス相手に看護官はどう向き合ったか

     キャリア15年あまりの看護官・松島菜恵1等陸尉は、コロナに立ち向かっていた日々を、「忙殺」という言葉で表現する。普段は自衛隊中央病院の整形外科で看護師を務める彼女は、今年1月から3月上旬にかけて主に軽症から中等症のコロナ感染症患者の対応に当たった。

     コロナの国内感染が本格化する以前の、初期の段階からコロナ患者を受け入れ治療を続けてきた自衛隊中央病院では、一般病棟の一部を閉鎖してコロナ専用病棟を設けている。松島1尉は同僚の看護官とともにPPE、個人用防護衣を着用した上にガウンを重ね、さらにゴーグルをするという完全防備の格好で看護に臨んだ。

     通気性を遮断した着衣のため、冬でもサウナに入ったようにたちまち汗が噴き出し、曇りがちなゴーグルのせいで周りも見づらい。しかし未知のウイルス相手だけに、一瞬一瞬が気を抜けない緊張の看護である。多少の不便は我慢するしかなかった。

     むろん隔離病棟には夜勤もある。ナースコールがかかったら即、看護師は完全防護の格好で病室に駆けつけなければならない。といってナースステーションで待機している間、四六時中その格好のままでいたら体がもたない。結局松島1尉らはナース同士2時間交代でPPEを装着することにした。通常は外部のスタッフが請け負う病室の清掃も、患者の身の回りの品の買い物も全てナースの仕事となった。

    「忙殺されていた」コロナ患者と向き合う日々

    画像: 接種会場の一角には、接種後に具合が悪くなった人に対応するための救護室も設けられている。1日に3、4人は運ばれてくるとのこと

    接種会場の一角には、接種後に具合が悪くなった人に対応するための救護室も設けられている。1日に3、4人は運ばれてくるとのこと

     受け持ちの患者には、夫をコロナで亡くした直後、自らも感染して入院している人がいた。夫の入院の間は1度も面会できず、最後のお別れもできないままに伴侶を失い、気持ちが追いつかない中で、自分も隔離を強いられる。どう慰めたらよいのか、「大変でしたね、では終わらないものがある」と、松島1尉はかける言葉が見つからなかった。

     後日、その患者から、「みなさんのおかげでよくなりました」と感謝が綴られた手紙が病院に送られてきた。ちょっとでも手助けできていたのなら、よかったなと、松島1尉は少しだけ救われたような気がした。

    画像: 救護室には、ワクチン接種後数十分以内に全身に現れる激しい急性のアレルギー反応(アナフィラキシー)に備え、薬も取りそろえている

    救護室には、ワクチン接種後数十分以内に全身に現れる激しい急性のアレルギー反応(アナフィラキシー)に備え、薬も取りそろえている

     コロナ専用病棟で勤務した後は必ずシャワーを浴びて帰宅した。家族と一緒にいる時が唯一ほっとできる時間だったが、子供たちとどんな会話をしていたのか、「すいません。全く記憶にないです」と松島1尉は言う。

    「なんかもう、忙殺されていたって感じですかね」

     その松島1尉は、大手町のセンターでは実際に接種に当たる他、日替わりで勤務に入る派遣看護師の支援全般を行っている。今回の接種プロジェクトには自衛隊の看護官の他、常時100人前後の民間の看護師が参加している。看護師という同じ国家資格を共に持ちながら、自衛隊のナースと民間の看護師が一緒に仕事をするのはむろん初めてだが、そこはプロのナース同士、「時間やルールをきっちり守られる方ばかりで、違いを感じることはない」と松島1尉は語る。

    看護師が現場で見た、コロナウイルスの恐ろしさ

    東日本大震災の災害派遣現場で活躍する自衛隊の映像を見て、自分も力になりたいと救急救命士の学校を経て海自に入隊した城間3曹

     准看護師の城間大地3等海曹の勤務先は海上自衛隊の横須賀病院である。大手町の接種プロジェクトに派遣される前、彼もまた横須賀病院でコロナ患者の看護を受け持っていた。

     検温や点滴投与、呼吸管理に日々追われる中、城間3曹が衝撃を受けたのは、比較的容態が安定していた患者が一気に重症化していくその急変ぶりだった。横須賀病院が対応していたのは中等症までだったのでその患者はより高度な治療が受けられる別の病院に転院、幸い容態が回復して再び横須賀病院に戻ってきたが、城間3曹はコロナの怖さをまさに現実のものとして目の当たりにした。そうした傍ら、横須賀を母港とする護衛艦に出向いて乗組員130人にモデルナワクチンの接種を行っている。

    「若い隊員の腕に注射するのと、ここで僕ら老人相手にするのではやはり違いますか?」

     全然違います、と城間3曹は即答する。

    「隊員のは、針がすうーと入っていきます」

     しかし筋肉が衰えて肉自体が薄くなっている老人の細い腕だと、針がスムーズに入ってくれない。注射器を持っていない方の手で、「伸展」といって、皮膚を伸ばしてから針を刺すのだが、老人の腕の場合はそれなりのコツがある。

    異例の自衛隊大規模摂取、自ら志願し働くナースも

    「自衛隊の統率力、スキルの高さ、指導力を実感し、共に任務にあたれたことを光栄に思う」と話す民間からの派遣看護師の山田氏

    「普通は左右に伸ばすのだけど、お年寄りのはこうやって上下に伸ばした方が入りやすいわよ」

     普段老人相手に注射をすることはほとんどない城間3曹にそう教えてくれたのは、派遣看護師のベテランナースである。

    「高齢者への言葉遣いも含めていろいろ学ばせてもらっています」

     山田弘子看護師は長年勤めた都内の中規模病院を2021年3月に定年退職したばかりだが、「ワクチンの打ち手が足りない」という報道を見て、「少しでも役に立てるのなら」と自ら志願してこのプロジェクトに参加している。間近で医官、看護官の統率のとれた働きぶり、志の高さを見て、感嘆したと言う。

    「44歳若かったら、ぜひ自衛隊に入って、看護官になりたいです」

     64歳のナースの言葉はオール自衛隊への何よりのエールだろう。

    【杉山隆男氏】
    1952年、東京都生まれ。読売新聞記者を経て作家に。自衛隊および自衛官に自ら体を張って迫り、その内部を綿密に描いたルポルタージュ『兵士シリーズ』が代表作。96年に『兵士に聞け』(新潮社)で新潮学芸賞を受賞。現在本誌にて、『兵士シリーズ 令和伝 女性自衛官たち』を連載中

    (MAMOR2021年11月号)

    <撮影/山川修一(扶桑社)>

    自衛隊ワクチン大規模摂取戦記

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