人類を脅かすパンデミックを引き起こした新型コロナウイルス。国内で初めての感染者が発表されたのは2020年1月16日。その後、数度の緊急事態宣言を経ても収束の見通しは立たず、オリンピック開催が迫る中、ワクチン接種が急務とされました。しかし、先進諸国に比べてなかなか進まないワクチン接種、窮余の策として東京と大阪に設置されたのが自衛隊大規模接種センターです。
短期間で大規模会場を設置し、運営できるのは自衛隊しかない、と、内閣総理大臣が命じたのは21年4月27日。その後、5月24日には接種が開始され現在に至ります。自衛隊による史上初となる作戦を、作家・杉山隆男が、自ら大手町にある東京センターに足を運び、2回の接種を体験したルポルタージュを3回に分けてお届けします。今回は中編です。
現場総監督が語る、大規模摂取成功のカギ
「クリアファイルを持った7人が縦一列で整然と歩いていく姿は、防大か教育隊での分列行進を見ているようでした」
私の言葉に、今回の大規模接種プロジェクトの現場総監督とも言うべき水口靖規1等陸佐は、わが意を得たりというようにうなずいた。普段は自衛隊中央病院の泌尿器科医師を務める水口1佐は、ここ大手町では自衛隊東京大規模接種センター長として、どんな会場にすれば1日1万人規模の接種が可能か、人の流れを導く動線の設計や効率的な人員配置など、接種までのプロセスをめぐり綿密な「作戦」を立案した中心人物の1人である。
「7人はいわば小隊みたいなものです」
どうやらこの「7人」が今回の作戦を形づくるキーワードといえそうである。
水口1佐が大手町の合同庁舎を初めて訪れたのは接種スタートの約1カ月前、第一印象は狭さと内部構造の複雑さだった。講堂のような一度に大人数を収容できるスペースがないことから接種会場は11階建て庁舎内の幾つかのフロアに分散させるしかない。となると、大人数の接種者をスムーズに会場のフロアまで運ぶには、エレベーターをいかに効率よく運用するかにかかってくる。エレベーターの大きさから、水口1佐らは1回当たりエレベーターに乗せる接種者は7人と見当をつけた。
迷路のような建物内で混乱を防ぐ一番の手立ては、人の流れがつかえないようにすることである。そのためにエレベーターに乗せる7人という人数を、最初の受付の段階からひと固まりにして、それぞれの固まりを別個に接種会場に誘導するというアイデアが形をとりはじめた。色分けの発想は最初の下見の段階からあったと水口1佐は言う。
ヒントは、病院で患者が迷わないように床に色テープで検査室までの順路を示していたことである。2階の接種会場は赤、4階は黄色というように、フロアごとに色分けをし、1階でエレベーターに乗るところから同色のテープで床や壁に順路を示す。さらに、自分の接種会場は何階なのか、はっきり認識させるために接種者に色別のクリアファイルを持たせる。こうすれば、係員が近くにいなくても接種者は色だけで自然と接種会場へと導かれる。
自衛隊の演習から生まれた摂取「作戦」
こうした仕組みを考え出す時、役に立ったのが自衛隊での図上演習の要領だった。合同庁舎の見取り図やレイアウトを前にしながら、水口1佐らは、どうしたら7人の固まりをよどみない流れに乗せられるか、待機場所をどこに置くかに始まり、椅子の並べ方、誘導の方法、スタッフの配置など、さまざまな状況を想定しつつ、持ち寄った各自のアイデアを叩き台にして思案を重ねていった。
水口1佐の当初の気がかりは、押し寄せるであろう接種者をさばくだけの受付のスペースが庁舎内にないことだった。接種は5月末からスタートする。じめじめとした梅雨とうだるような暑さの夏が確実に訪れる。そんな中、屋外で高齢者が行列をつくっていたらたちまち熱中症にかかってしまう。その懸念もしかし自衛隊での経験に救われる。方面医務官として勤務していた時、観閲式でプレハブを建てて急ごしらえの指揮所にしたことを水口1佐は思い出したのだ。幸い合同庁舎の横は駐車場になっていて、プレハブを建てる広さが十分あった。
プロジェクトの仕組みはでき上がり、実際に接種が順調な滑り出しをみせてからも、水口1佐らの改善への試みは続いていた。たとえば受付から接種までの要所要所に計測係を置き、所要時間を毎日測定して、問題点の洗い出しを行った。この結果、入場から退場までの時間は1カ月の間に当初より10分以上短縮することができた。
そうした細部へのこだわりはワクチンについてもいえる。大手町会場で使用しているモデルナ社製ワクチンの場合、1瓶当たり接種10回分になるが、ワクチンの使用期限は瓶の開栓後6時間以内。このため会場を閉める2時間前からは来場者数とワクチンの減り具合を厳密にカウントしていく。細部をゆるがせにしないこのやり方のおかげで、貴重なワクチンを1本も無駄にせず使い切っている。
水口1佐の話を聞きながら、私は、昔、陸上自衛隊富士学校で幹部レンジャー課程教育を司る班長の2佐がしきりに学生の若手2尉、3尉に「ミリミリ」と口を酸っぱくして繰り返していたことを思い起こした。安全確保を含めて任務遂行の心得は、細部を徹底して詰めること、目配り気配りをセンチではなくミリ単位まで怠らない。陸上自衛隊の気質を表す「用意周到」にも通じる、この「自衛隊メソッド」が、今回の接種「作戦」の随所にちりばめられている。
感染症医療の最前線で培ったもの
感染症専門医として接種センター本部に詰める今井一男1等陸尉は、「医官の場合、一般のドクターのように病院で医師としてのみ働けばよいというわけではなく、2年刻みの部隊勤務を間に挟むため、希望する場所で研修医や専門研修医ができないといった制約がある」と言う。ただ逆に、部隊勤務の間に、指揮官として組織をどう動かせばよいか、指揮統制や部隊運用など、単にドクターとして医療現場に関わるだけでは得られない、さまざまなノウハウを学びとれる。そう今井1尉はつけ加える。そして今回の接種プロジェクトでは、水口1佐ら医官の中に蓄積されてきた、医師でありながら同時に部隊を率いる指揮官としての経験が生かされている。
接種者7人をまずは縦一列の椅子に座らせた上で、他のグループの7人とは交差させないように、ひと固まりになって狭い施設内を移動させていく。そのアイデア自体、整列や分列行進という基本動作から、部隊の秩序立った動きが生まれていくことを体で知っている自衛官でなければまず思いつかない発想だろう。大規模接種「作戦」の原点には紛れもなく「自衛隊メソッド」があったのだ。
もちろん自衛隊初のミッションを根元で支えているのは、水口1佐が指摘するように医官や看護官らの、自衛官としての高い使命感に他ならない。東京大手町での大規模接種には、自衛隊中央病院をはじめ全国の自衛隊地区病院や衛生隊などから医官約50人、約130人にのぼる看護官や衛生隊員が参加している。その多くが、コロナ医療の現場で感染防止の万全の備えをしながら患者の対応に当たってきた経験を持っていた。いわばコロナとの戦いに最前線で立ち向かってきた戦士でもあるのだ。
目の前で親が……コロナが突きつける悲痛な現実
昨年2月に『ダイヤモンド・プリンセス号』のコロナ患者を自衛隊中央病院が受け入れて以来この1年半あまり、今井1尉にとっては、「ずっとコロナのことしか考えていなかった毎日だった」という。それは過去形の話ではなく、今も変わらない。今井1尉は専門研修医として勤務していた別の病院でもコロナ患者の治療に当たっているが、コロナという感染症ゆえの深刻な現場を目の当たりにしてきた。普通、家族が同じ病室に入るというのは交通事故でもない限り、まず考えにくい。だが、家庭内で感染が広がるコロナではその普通でないことが現実に起こってしまう。
今井1尉が受け持った患者の場合は、家庭内感染で両親に当たる老夫婦も感染し、同じ病室で治療を受けることになった。コロナの怖さと言うべき、病状の急変どころではない劇変を、今井1尉は目の前で突きつけられる。ことに高齢者はあっという間に重篤な状態に陥る。両親とも意識がなくなり、自力で呼吸ができないため気管に挿管する応急処置が施される。だが、懸命の治療にもかかわらず1人は息を引き取っていく。それを同室にいる子は否応なく目撃させられるのだ。医師としてこれまで少なからぬ患者の最期に立ち会ってきた中でも、「辛かったです」と今井1尉は心情を口にする。
そしてさらに辛いことに、親を亡くした患者から、「治療法はあるのですか」、「この先自分は良くなるのか、どうなるんですか」と畳みかけられる。だが、劇的に効果のあるコロナ治療法が確立されていない現状では何とも答えようがない。そんな自分が今井1尉はもどかしかった。その時の歯がゆい思いが、逆に感染症専門医としてコロナに立ち向かう決意を新たにさせている。
モデルナワクチンを国内で初めて使用した自衛隊大規模接種センターは、このワクチンに関する「フロントランナー」と言える。それだけに接種で得られたデータを今井1尉は自衛隊医療チームの一員として副反応の調査研究に役立て、今後の治療につなげていきたいと考えている。
【杉山隆男氏】
1952年、東京都生まれ。読売新聞記者を経て作家に。自衛隊および自衛官に自ら体を張って迫り、その内部を綿密に描いたルポルタージュ『兵士シリーズ』が代表作。96年に『兵士に聞け』(新潮社)で新潮学芸賞を受賞。現在本誌にて、『兵士シリーズ 令和伝 女性自衛官たち』を連載中
(MAMOR2021年11月号)
<撮影/山川修一(扶桑社)>