男女雇用機会均等法が施行されて30余年たつが、まだまだ男性だけしかいない職場がある。「体力的に無理だから」、「伝統だから」など、女性を拒む理由はさまざまだ。しかし、そんな理屈を飛び越えて、男性だらけのフィールドに、“やりたいから”と飛び込む女性たちが増えているようだ。
圧倒的な男性社会といえる自衛隊で活躍する女性隊員を応援すべく、MAMOR編集部では、時代の最前線で闘う女性たちにスポットを当てることに。第3回は数少ない女性左官職人の1人、福吉奈津子(ふくよし なつこ)さんに話を聞いた。
きつくてきたない肉体労働。でも面白さが勝る左官の仕事
土やしっくい、モルタルなどで、建物の壁、床、天井を仕上げる職人のことを「左官」という。大工と並ぶ古来の建築専門職人で、土蔵造りが発達した桃山・江戸時代以降、日本建築において重要な役割を担ってきた。
1949年創業、東京都文京区にある原田左官工業所には左官のスペシャリストがそろっている。そのうちの1人が、女性職人の福吉奈津子さんだ。入社して16年、現在14歳の息子と12歳の娘、2人の子育てをしながら建築現場で奮闘する日々を送る。
5年前の国土交通省調査によると、左官業における女性比率はわずか4%ほど。少しずつ増加しているとはいえ、いまだ圧倒的な男社会といえるだろう。
「女性がなかなか増えないのも分かる気はします。まず、きれいな格好では仕事ができません。特に天井の塗装作業のあとは汚れまくります(笑)。重い荷物を運ぶこともあれば、真夏でも真冬でも、1日中屋外で仕事をすることもあり、体力が必要です。また前日の夕方まで次の日どこに向かうのかも分からない、作業内容も当日の朝にならないと分からないということも多い。心の準備ができないので、ある程度の度胸も求められます。事務系の仕事ではあり得ないことだらけですよね」と福吉さん。
さらに厳しいのは一人前の職人になるまでに4年の見習い期間を経なければならないことだ。1年目の半年間は、1対1の師弟制度があり、困ったら相談にものってもらえるが、2〜3年たつと同期と比べて実力やセンスの差を感じ始め、続けるかどうか悩む人も出てくる。その時期を越えられたら、覚悟を決め、職人まで進むという。
見習い期間中と職人との間にははっきりとした境があり、給料が大きく上がる分、責任も重くなり、1人の現場では自身1人でさまざまな判断をしなければならなくなる。
仕事も子育ても同じ。新しい発見と経験の連続
「私の場合、手に職をつければ長く仕事ができ、安定してお金も稼げるかなと、漠然と建築業を思い浮かべ、『建築、女性』でネット検索をしたところ、真っ先に挙がってきたのが、女性職人の育成に力を注いでいた今の会社でした。19歳で入社し、見習いをスタート。ところが、その期間の真っ最中に妊娠が分かり、当社では前例がなかったので、私を初のケースとして会社の産休・育休制度を確立させながら、続けさせてもらいました」
会社と周囲の人たちの協力のもと、2度の出産を挟んだ見習い期間を修了し、晴れて職人として認められ、今に至る。ただ、そのころのことは、あまりに忙しく大変すぎたためか、記憶が飛んでいてほとんど覚えていないと笑う。
「職人になってしまうと男女差を感じる場面はあまりないです。もちろん、どうしても埋められない体力差があるので、作業の速さに関係することはありますが、左官の仕事はスピードより仕上がりの完成度が重要なので気になりません。現場が個人宅の場合は女性職人のほうが話しやすいと言われることも多いです」
近年は土壁やしっくいが好まれる傾向にあり、扱う材料も膨大だ。メーカーも新製品を次々と開発し、欧州の輸入材料も増える一方なのだとか。説明書に日本語訳のないときも、とにかくやってみて失敗しながら覚えていくという。
「子育てと同じで、毎日新しい発見があるのもこの仕事の面白いところです。手掛けた店舗が短期間で入れ替わってしまう商業施設などの仕事もそれはそれでよいのですが、いつかは子どもたちに誇れる、ずっと先まで残るような仕事をやってみたいです」
【福吉奈津子さん】
神奈川県出身。2005年に原田左官工業所に入社。同社で産休・育休制度を活用した初の女性職人。14年、建設業界女性代表として安倍晋三前首相を表敬訪問。東京都「ものづくり・匠の技の祭典2017」において「匠なでしこ」受賞
(MAMOR2021年3月号)
<文/富田純子 撮影/山川修一>