•  自衛隊はどのようにして発足したのか?

     旧陸海軍解体後、陸上自衛隊のルーツである「警察予備隊」と海上自衛隊のルーツである「海上警備隊」はそれぞれ異なる経緯で創設された。それぞれの成り立ちについて、元防衛大学校の准教授・相澤輝昭さんに解説していただく。

    陸・海軍再建に向けての旧軍人たちの動き

    画像: 警察予備隊の朝礼風景 出典/Wikimedia Commons

    警察予備隊の朝礼風景 出典/Wikimedia Commons

     旧陸海軍解体後の旧軍人の陸海軍再建に向けた極秘裏の動きは、陸と海で全く異なる経過をたどります。海軍側については、旧海軍軍人グループがひそかに「海軍再建計画」を検討し、アメリカ海軍の協力も得て実現を図ったという逸話が、各種書籍やNHK報道番組などで取り上げられ、今日では一般にも広く知られるようになっています。

     一方の陸軍側も、さまざまな形で「再建計画」が検討されていたといわれていますが、結果的に警察予備隊新編に際しては、幹部の採用をはじめ、当初は旧陸軍の影響を排除する形で実施されました。

     こうした経緯から、「旧海軍の後継」を自認する海上自衛隊と、旧陸軍との関係については一線を画す立場とされる陸上自衛隊の組織文化の違いは、今日まで継続していると俗にいわれているところです。

    経緯の異なる警察予備隊と海上警備隊の創設

    画像: 1952年、海上警備隊発足 自衛艦隊ホームページより(https://www.mod.go.jp/msdf/sf/about/history/index.html)

    1952年、海上警備隊発足 自衛艦隊ホームページより(https://www.mod.go.jp/msdf/sf/about/history/index.html

     前回解説したとおり、警察予備隊はあくまで警察力として創設されたものであり、さまざまな面で「軍隊ではない」という点が強調されていました。採用も当初は旧軍人が排除され(後には武装強化に伴い一部緩和)、幹部は旧内務省の警察官僚主体で編成されていました。

     規模は人員約7万5000人、全国を4個管区隊に区分して治安維持にあたりました。装備は当初は軽火器のみでしたが、後に占領軍から戦車(当時の呼称は「特車」)や火砲などの貸与も受けるようになりました。

     一方、海上保安庁内に設置された海上警備隊は、前述のとおり警察予備隊とは全く異なった経緯で創設されています。「海軍再建」が実際に動き出す契機は、アメリカ海軍の艦艇貸与の打診でしたが、その具体的な検討のため海上保安庁に設置されたのがY委員会です(「海軍再建計画」を検討していた組織ではなく、こちらは「海軍軍人グループ」、「二復グループ」などと呼ばれています)。

     そのY委員会の焦点は、新組織と海上保安庁の関係でしたが、アメリカ海軍の支持もあり、将来的に分離独立し得る形で決着したのでした。

    保安隊、警備隊から防衛庁・自衛隊へ

     1951年9月、対日講和条約と旧日米安保条約が締結され、52年4月にわが国は主権を回復しましたが、防衛はアメリカに依存していました。そして警察予備隊、海上警備隊は同年7月に保安庁に統合、保安隊、警備隊に改編されますが、治安維持を任務とする警察力という位置付けは変わらないままでした。

     その後、アメリカとの相互防衛援助(MSA)協定の締結が検討される中、わが国の防衛努力がその条件とされたため、政府としても侵略に対する防衛を任務とする組織創設を決定し、54年7月1日、防衛庁・自衛隊が発足することとなったのです。

     なお、航空自衛隊はここで新編されるのですが、これは旧陸海軍航空関係者がそれぞれ航空部隊の創設を検討していた中、旧ソ連の経空脅威への対応などの必要性から、独立航空部隊の早急な設置で基本的に一致した結果であったとされています。

    【元防衛大学校 防衛学教育学群 准教授 相澤輝昭】
    海上自衛官として掃海艦『はちじょう』の艦長などを務め、退官後は、外務省アジア大洋州局地域政策課専門員、笹川平和財団海洋政策研究所特任研究員を歴任。2020年より現職で、専門は自衛隊史など

    ●アメリカ海軍の艦艇貸与

     1951年に、アメリカのタコマ級フリゲート18隻などが海上保安庁に貸与され、これを運用するために、52年に海上保安庁の外局として結成されたのが海上警備隊、のちの海上自衛隊である。

    ●Y委員会

     アメリカ海軍の艦艇の受け入れと運用体制の確立に関し、政府の諮問に答えるため、1951年10月に組織された10人ほどの委員会。海上警備隊発足前日の52年4月25日まで、週1回の定例会が開かれた。

    ●対日講和条約

     1951年9月8日に、第2次大戦参戦以来の戦争状態を終結させるために、日本政府がアメリカをはじめとする連合諸国(旧ソ連など一部を除く)と締結した平和条約で、公式名を「日本国との平和条約」という。

    ●旧日米安保条約

     対日講和条約と同日の1951年9月8日に署名された日本とアメリカの2国間条約。日本における安全保障のためにアメリカが関与し、アメリカ軍を日本国内に駐留させることなどを定めた。60年に改定され、いわゆる「新安保条約」を結んでいる。

    ●相互防衛援助(MSA)協定

     1954年3月に、アメリカの国内法である相互安全保障法(Mutual Security Act)に基づいて締結された協定で、日本は経済援助を得る一方で、自衛のための防衛力強化を求められた。

    (MAMOR2026年2月号)

    相澤准教授の自衛隊史リモート講座

    ●本稿は著者の個人の見解です 

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

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