ウクライナ赴任の内示が出たのは、まだロシア侵略の前。赴任1年前の最終意思確認を経て、2024年3月からから日本大使館で防衛駐在官を務めることになった笛田1佐に話を聞いた(2025年1、2月取材)。危険なウクライナへと歩を進めた理由とは?
赴任先:ウクライナ / 笛田1等空佐の場合
●赴任期間
2024年3月~26年3月予定
●赴任前の所属
第43警戒隊隊長 兼 背振山分屯基地司令
●防駐官を希望したのはいつ?
赴任の約15年前
●同行者
なし(紛争国のため)
戦地での経験はこの先の自衛官人生の大きな財産になると赴任を決断

2024年7月、自衛隊中央病院が受け入れたウクライナ負傷兵の元へ、一時帰国の際に激励に訪れた笛田1佐(後列右から2番目)。負傷兵、病院スタッフらと撮影
ロシアの侵略が始まって3年が過ぎたウクライナ。2024年3月からかの国の日本国大使館で防駐官を務める笛田1等空佐に、ウクライナ赴任の内示が出たのは21年、まだロシアの侵略前だった。
「私は赴任の15年ほど前の2等空尉のころから、アメリカ、ヨーロッパへの赴任を希望していました。ウクライナの防駐官に決まったと聞いたときは、クリミア半島などの緊張状態は知っていましたが、それを除けば、のどかで牧歌的な雰囲気の国に行くのだと思っていました」
2024年3月、ウクライナ民間人の虐殺があったキーウ州ブチャ市の教会に、前任の防駐官と共に慰霊に訪れた(右が笛田1佐)
その後、情勢はますます悪化し、ついには22年2月24日にロシアが侵略を開始した。
そして赴任の約1年前に、笛田1佐は防衛省から最終的な意思確認を迫られたが、「こんなときだからこそ戦時下の国に行って学び、経験することが、日本の安全保障に貢献できるまたとない機会になるに違いない」という思いで最終決断をしたという。
空襲警報アプリをスマートフォンにダウンロードも

2024年10月に開かれたレセプションにおいて、ルーマニア武官と握手をする笛田1佐(右)。行事に参加する際も退避先と経路の事前確認は怠らない
それからロシア語の研修を受けるが、前任者から現地の人はロシア語を好まないと聞き、赴任の3カ月前からはウクライナ語の学習も始める。
防衛省では日本の防衛政策、外務省では外交政策や外交官としてのふるまいなどの研修も受ける。個人的にウクライナの歴史や現地情勢に関する情報収集も行ったそうだ。
「赴任の日が近づくと、外務省から緊急時の対応用に一定額の現金、懐中電灯、携帯電話の充電用のバッテリー、携帯食料などを入れたリュックサックを事前に用意するように言われました。現地に赴いてからはどこに行くときも、このリュックを肌身離さず持っています。
また戦時特約のある保険への加入を勧められたり、空襲の警報アプリである『エア・アラート』のダウンロードを指示されたりしました」
笛田1佐のスマートフォンには、空襲の警報アプリ「エア・アラート」がダウンロードされている。一時帰国中の取材時も、空襲を受けているエリアが赤く表示されていた
この警報アプリでは、今でもほぼ毎日、それも夜間に多く警報が鳴るそうだ。それでもつとめて普通の生活を送ろうとするキーウ市民の姿に感銘を受けるという。
「自衛官として国を守るために何ができるか、自身に問い続ける毎日です」
(MAMOR2025年6月号)
<文/古里学 写真/星 亘(スマートフォン) 写真提供/防衛省>
※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです



