日本固有の領土であるはずの島々が現在、複雑な状況に直面している。一体何が起こっているのか? また、そうした島々が日本の領域にとってどのように重要なのか?
北方4島、竹島、尖閣諸島などについて専門家に聞いた。解説してくれたのは、海洋政策、海洋安全保障などを専門とする東海大学の山田吉彦教授だ。
島を1つ失うことは、日本の領域にどのような影響を及ぼすか?
広大な排他的経済水域がなくなり、安全保障面でも大きなリスクに

満潮時の面積が世界一小さいといわれる沖ノ鳥島。この島が領土でなくなると同海域の海洋生物資源や鉱物資源の主権が失われ、安全保障上の緊張感が一気に高まる。
日本の場合、最北端の択捉島から最南端の沖ノ鳥島、最東端の南鳥島から最西端の与那国島までそれぞれ約3000キロメートル離れており、その排他的経済水域(EEZ)の面積は国土面積の10倍以上にもなる。南鳥島のEEZは約42万平方キロメートル、沖ノ鳥島は約41万平方キロメートルと日本全土の面積より広く、漁業資源や海底資源などは豊富だ。
こうした経済的な貢献もさることながら、日本の離島は安全保障上重要な地点に位置している。例えば沖ノ鳥島はアメリカ軍の重要拠点グアム島と沖縄の中間地点、グアム島と東京、台湾を結んだ三角形のほぼ中間地点にあたる。
「2020年に中国の海洋調査船がEEZの沿岸国である日本の同意を得ずに沖ノ鳥島周辺で観測機器を海中投下していることが確認されています。
これは中国が沖ノ鳥島を占拠後に軍事拠点化し、南西諸島や台湾海峡をめぐる有事が起こった場合、グアム島のアメリカ軍基地から発進する空母などの軍艦を阻止するためと想定されます。
その際はアメリカ軍艦だけでなく海自艦艇や民間の船舶が攻撃される可能性があります。また太平洋側から首都・東京や沖縄本島、台湾へ侵入しやすくなり、大陸側と太平洋側から同時侵攻される可能性もあります。これは大変な脅威で沖ノ鳥島をめぐる海洋紛争は避けなければなりません」と山田教授は話す。
外国船の津軽海峡の通過は領海侵入になるのか

津軽海峡を太平洋側から日本海に向け航行するロシアの砕氷艦やフリゲート艦。航行した海域は公海とされている
北海道南端と本州北端の間にある津軽海峡は最も狭い所で幅約18キロメートルしかない。ここを2021年10月18日にロシア海軍と中国海軍の艦艇10隻が通過した。
これは領海侵入と思いきや、実は国際法上は何の問題もない。その理由は津軽海峡は領海が沿岸より3海里(約5.5キロメートル)の「特定海域」だから。つまり津軽海峡の中央は日本の領海ではなく公海なのである。
国連海洋法条約では、領海は「12海里以内」と決められているが、それより狭くするのはその国の自由である。日本政府は国際交通の要衝となる海峡での自由な航行を確保するため、津軽海峡、宗谷海峡(北海道とサハリン南端の間)、対馬海峡東水道・西水道(長崎県の対馬周辺と朝鮮半島との間)、大隅海峡(鹿児島県の大隅半島沖の海峡)の4地域を特定海域に指定している。
ロシアとの返還交渉が今もなお続いている北方4島とは?
日本とロシア(旧ソ連)の国境の変遷
1855年:日魯通好条約

江戸幕府とロシア帝国との間で1855年に締結された「日魯通好条約」では、択捉島とウルップ島の間に国境を定め、北方4島は日本の領土とされた。
1875年:樺太千島交換条約

明治政府とロシア帝国は、1875年に日本が樺太全島を放棄し、代わりにロシア領のウルップ島以北の千島全島を譲り受ける条約を交わした。条約地から「サンクト=ペテルブルク条約」ともいわれる。
1905年:ポーツマス条約

1904年に起こった日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)により、ロシアは日本に賠償金を支払う代わりに日本へ樺太の北緯50度より南を譲渡。
1951年:サンフランシスコ平和条約

第2次世界大戦の終戦の結果として、日本はポーツマス条約によって獲得した南樺太と千島列島を放棄したが、日本政府は北方4島は千島列島に含まれないとしている
千島列島に関する解釈の違いと「ヤルタ協定」の密約が問題の端緒に
北海道の北方4島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)は1855年に締結された「日魯通好条約」で正式に日本に帰属。その後、75年の「樺太千島交換条約」では千島列島全島が列記されているが、ここに北方4島は入っていない。
その後1905年のポーツマス条約で南樺太が日本に譲渡された。第2次世界大戦の終戦は45年8月15日で、旧ソ連軍は18日に千島列島に侵攻し、現在も占拠を続けている。51年のサンフランシスコ平和条約で日本は千島列島と南樺太を放棄したが、その帰属先は書かれていない。
また北方4島は千島列島に含まれないのが日本側の解釈だ。ロシア側は45年2月の「ヤルタ協定」の密約で、旧ソ連最高指導者スターリン(当時)がアメリカのルーズベルト大統領(当時)とイギリスのチャーチル首相(当時)との間で千島列島が旧ソ連に「引き渡される」と決めたことを根拠にしている。
「これは『返還』ではなく『引き渡し』で、北方4島は旧ソ連領でなかったという解釈にもなります」と山田教授は話す。
領土問題を法的に解決する手段はあるのか
領土をめぐる国家間の争いを法的に解決する機関には「国際司法裁判所」、「国際海洋法裁判所」、「国際仲裁裁判所」の3つがある。
国際司法裁判所は国連の主要機関の1つで、その判決は法的な拘束力を持つ。しかし当事国両者の合意がなければ開廷できない。国際海洋法の解釈や判断を行い問題解決を目指すのが国際海洋法裁判所だ。国際司法裁判所同様、その判決は拘束力を持っている。
一方民間企業による国際商業会議所の専門機関である国際仲裁裁判所は、国際司法裁判所が国家間の争いのみを対象としているのに対し、組織や個人の争いも扱う。正確には裁判所ではなく、当事者間の仲裁を調整する機関になる。
韓国による実効支配が続いている竹島とはどのような場所なのか?

竹島は西島(男島・左)と東島(女島)などの群島からなり、総面積は約0.21平方キロメートル 写真提供/桑原史成
国際法の手続きで島根県に編入された

韓国は竹島西方約88キロメートルの位置にある鬱陵島と合わせ、韓国領と主張。日本はサンフランシスコ平和条約で鬱陵島の領有を放棄した
1952年1月、海洋資源の独占を図った韓国の李承晩大統領は、日本海の公海上に「李承晩ライン」と呼ばれる境界線を一方的に設定。以来竹島は韓国が実効支配している。
山田教授は、「韓国が竹島を自国の領土とする主張の根拠は『竹島は韓国領土として古い文献に記されている』、『17世紀に行われた江戸幕府との交渉で韓国領と確認された』、『1900年の勅令で韓国領に編入された』などがありますが、いずれも証拠として疑わしいです。
江戸幕府は竹島を壱岐国(現在の長崎県)に属するとみなし、地元漁民の漁業拠点と定めました。05年には日本政府がどの国も領有したことがないことを確認し、国際法に則って島根県に編入しています。サンフランシスコ平和条約においても、竹島の放棄はうたわれていません」と解説する。
中国が「自国のもの」と主張し領海侵入を繰り返す尖閣諸島とは?

尖閣諸島は約5.53平方キロメートルで魚釣島をはじめとする8つの島からなる。海自の哨戒機などが継続的に警戒監視を実施している
食料や資源の確保、軍事拠点の設置がねらい

尖閣諸島は沖縄本島より中国からの距離が近く、中国籍の漁船や中国海警局の船舶などの領海侵入が繰り返されている
国際法では、どの国の領域でもない場所は最初に発見した国が自国領にできるとしている。尖閣諸島は1895年に日本政府が他国占有の有無を確認し、国際法の手続きを踏み沖縄県の所轄とした。
その後、開拓民が移住したが周辺諸国からの異議申し立てはなかった。しかし1968年に東シナ海に海底油田が埋蔵されている可能性があると発表されると、70年代に中国が尖閣諸島の領有を主張し始める。その後、今日まで中国による領海、領空侵入が繰り返されるようになった。
「中国が尖閣諸島を狙う背景は、豊富な海底資源や漁業による食料確保に加え、台湾から約170キロメートル、石垣島から約170キロメートル、沖縄本島から約410キロメートル、中国沿岸から約330キロメートルと、軍事拠点を設置すれば安全保障上の重要な地点となるからです」と山田教授。
山田吉彦氏
【山田吉彦氏】
1962年、千葉県出身。東海大学海洋学部海洋理工学科教授。海洋政策、海洋安全保障、公共経済学などが専門。著書に『日本の領土と国境』(小社刊)などがある 写真/本人提供
<文/古里学 写真提供/防衛省(特記を除く)>
(MAMOR2025年5月号)
※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

