•  来年のパリオリンピックに焦点を当て、毎日練習に励む自衛隊体育学校所属のアスリートを紹介します。日本の活躍を祈り、みんなで応援しましょう!

    画像1: 競歩“パリ五輪・有力候補”野田明宏 3等陸尉「低迷を経て見えてきた光」

    【競歩 野田明宏 3等陸尉(大阪府出身)】

    1996年生まれ、大阪府出身。週7日毎日練習しており、わずかなオフの時間は寝て過ごすことが多い。大きな大会後は、実家に帰ってリフレッシュを図っている。好きな食べ物はオムライス。嫌いな食べ物はニンジン。自身を動物に例えると、“歩くのが速い”ナマケモノ。「のっそりしているから」。

    種目解説「競歩」

     2021年のオリンピック東京大会までは男子は50kmと20km、女子は20kmの種目で実施されていたが、それを最後に50km種目の廃止が決定(注)。24年のパリ大会からは、マラソンと同距離の42.195kmを男女各1人が約10kmずつ交互に歩くリレー形式が新種目に加わる。

     走ることは禁止されており、競技中は常にどちらか片方の足が地面に着いていなければならない。また前足は接地の瞬間から地面と垂直になるまで膝を伸ばさなければならないなど、歩形が厳密に規定されている。審判が歩形をジャッジし、異なる審判員3人から3枚以上のレッドカードを受けると失格となる。

    (注)50km競歩の廃止以降、世界選手権や日本選手権などで35km競歩を実施しているが、オリンピックパリ大会では20kmのみで35kmの種目はない

    高校2年生で、陸上競技から競歩に転身

     2023年4月に行われた日本選手権35km競歩を日本新記録(2時間23分13秒)で制し、成長した姿を見せた野田3尉。世界でもトップレベルにある日本競歩界において、結果を求められる27歳は、今まさに充実の時を迎えている。

     兄の影響で中学生から本格的に陸上競技を始めた野田3尉。だが、高校入学後はけがもあり思うように走れない日々が続いた。その中で「競歩が向いている」と先生に言われたことが1つのきっかけとなる。長距離走と並行して、高校2年生から競歩を始めると、1年ほどで全国大会に出場できる選手にまで成長したのだ。

    「大会に出るたびに、自己記録を更新できるようになり、楽しさはすごく感じていましたね」

     さらに才能が花開いたのは自衛隊体育学校入校後。入校が決まった大学4年生の冬から体育学校の練習に参加できるようになると、入校してすぐの18年4月の日本選手権50km競歩で優勝。同年10月の全日本50km競歩では当時の日本記録をたたき出した。

    「自衛隊体育学校内のコースは安全で質の高い練習ができますし、トレーナーも傍らにいて、食事サポートも整っている。本当に良い環境で競技できるのが結果につながりました」

    一度は見失いかけた自分。競歩と真摯に向き合い成長した姿を世界で示す

     自衛隊体育学校を選んだのは、谷井孝行氏(現コーチ)、荒井広宙氏(富士通へ移籍後引退)という2人の先輩の影響も大きかった。だからこそ、2人の引退や移籍が相次いだ19年ごろは、気持ちの整理がつかず、競技にも身の入らない日々が続いたという。けがも重なり臨んだ19年の世界選手権50km競歩は途中棄権と、消化不良の大会になった。

     それでも「ここ数年はしっかり競技と向き合えるようになってきた」と話すとおり、近年は心身の成長が結果に結びついてきた。22年の世界選手権35km競歩では入賞まであと1歩に迫り、「今後につながる結果は残せた」と未来への希望を口にする。

     23年8月にハンガリー・ブダペストで行われる世界選手権では「メダル獲得を目指したい」と意気込む(注)。その先に見据えるのは、オリンピックの大舞台だ。24年のパリ大会からは、個人種目は20㎞のみでの実施が決定している。日本代表争いはより激しくなるが、野田3尉は前向きだ

    「代表争いで勝たないことには、世界で戦うこともできません。自分はやるべきことをやるだけです」

     ハイペースで押し通す、積極的なレース展開が武器。迷いを捨て、攻めの姿勢でオリンピックの切符をつかみにいく。

    (注)記事の内容は取材当時のものです。2023年8月24日に開催された世界選手権では35km競歩では6位に入賞しました

    (MAMOR2023年10月号)

    <文・撮影/MAMOR編集部>

    オリンピックを目指す自衛官アスリート

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