観艦式とは艦船によって行われる軍事パレードである。その起源は古く、世界初の観艦式は14世紀に行われた。日本でも第2次世界大戦前に19回、戦後は2022年11月6日に開催された「国際観艦式」を含めて30回開催されている。観艦式の歴史を振り返ってみよう。
国家の威容を示すため各国が最新鋭艦を派遣
観艦式の原型は、イングランド国王エドワード3世が英仏百年戦争初期の1341年、イギリス艦隊を観閲・壮行したものといわれている。このときすでにイングランド海軍は700隻もの艦艇を保有していた。時代は下って1897年、イギリス・ビクトリア女王在位60年記念の祝賀観艦式から、現在各国で行われている観艦式のスタイルになった。
19世紀になって世界の海を支配していたイギリスは、国王の戴冠や在位の周年記念など国家行事としてしばしば観艦式を実施したが、それは同時に国家や軍の威容を国内外に知らしめる場にもなっていった。
イギリスの軍港ポーツマスの港外にある停泊地・スピットヘッドで行われた前述の祝賀観艦式では、世界初の蒸気タービンを動力とした『タービニア』号が披露される。
第2次世界大戦直前の1936年のジョージ6世戴冠記念観艦式には、フランスの戦艦『ダンケルク』や日本の巡洋艦『足柄』、ドイツの装甲艦『シュペー』をはじめ、オランダ、フィンランドなどが最新鋭艦を派遣、そのほかアメリカの戦艦『ニューヨーク』、旧ソ連の戦艦『マラート』など、その国の主力艦もここぞとばかりに参加している。
ちなみに日本は戦前に3度、イギリスで行われた国王戴冠記念観艦式に参加し、毎回その時々の最新鋭艦を派遣している。
日本初の観艦式はいつ?
わが国では明治元(1868)年に大阪・天保山沖に集結した6隻を明治天皇が観閲したのが最初の観艦式といわれている。もっともこのときは「観兵式」と呼ばれ、「観艦式」となったのは1900年の3回目以降である。
旧海軍は、特別観艦式、大演習観艦式、恒例観艦式、日露戦争凱旋観艦式など、合わせて19回の観艦式を行った。特に昭和に入ってからは観艦式の規模も拡大し、28年の昭和天皇の即位の大礼に伴う御大礼特別観艦式には約1万4000人が参加し、陛下は観閲艦である戦艦『榛名』に6日間も滞在された。同観艦式には186隻の艦船が、また40年に行われた戦前最後の観艦式では527機もの航空機が参加している。
なお、13年の恒例観艦式では、受閲部隊が観閲艦を取り巻くように航行したと記録にあり、現在の移動式観艦式(受閲艦艇が航行しながら観閲艦とすれ違うスタイル)に近いものだったと思われる。
第2次世界大戦後、海上自衛隊が観艦式を復活させたのは57年で、東京湾にて行われた。61年の第3回からは観閲部隊と受閲部隊がどちらも航行する移動式を採用。64年の第5回には初めて、日ごろの訓練の成果を披露する「訓練展示」が実施された。
その後73年の第14回まではほぼ毎年行われていたが、オイルショックで一時中断し、81年に再開。96年以降は11月1日の自衛隊記念日に、陸上自衛隊の中央観閲式、海上自衛隊の観艦式、航空自衛隊の航空観閲式が順繰りに行われるようになった。国際観艦式が初めて行われたのは海自創設50周年となる2002年、そして今回が2回目となる。
観艦式の歴代ロゴマーク
2002年の国際観艦式以降、観艦式を行う際には、一般募集などによりロゴマークを採用している。
50周年を意味する「50th」の文字をデザイン化。
ラッパを吹く海上自衛官と海自の装備品を描いた。
海上自衛官を背景に海自の3種の装備品を描いた。
赤い日の丸を背景に海自の3種の装備品を描いた。
日の丸に富士山と装備品、浮世絵風の波を描いた。
艦船と航空機、手前に潜水艦を白抜きで描いた。
海に日本の桜を描き、海が守られていることを表現。
70年の歴史を重んじつつ未来まで駆ける様を表現。
(MAMOR2023年3月号)
<文/古里学 撮影/村上淳>