•  わが国で毎年のように起きる自然災害。その被害の様子は、誰もが報道で知ることができる。しかし、実際の現場の悲惨な状況は被災者、または、発災直後に現地に入った警察や消防、そして自衛隊の隊員しか分からない。

     いつ来るか分からない自然災害に備えるために、実際の被災地で何が起きていたのか、を知ることは大切だ。そこで、過去に大規模災害で派遣された自衛官から、そのときの現地の状況を教えていただいた。

    災害現場では何が起きていたのか?

    スコップを使って被災者捜索(1995年1月/阪神・淡路大震災)

     当時、人命救助システム(注)はなく、つるはしや大きいスコップなどを使用して、人力で倒壊した鉄筋コンクリートの建物の中の被災者の捜索および救助を行ったが、なかなかコンクリートが割れず、作業が思ったように進まなかった。

     人命救助という尊い任務と体力消耗の現実の落差が激しく、気持ちだけ空回りしてしまい、とてもつらかった。

    注 :災害時において、倒壊家屋などから被災者を迅速に救助するためのチェーンソーやエンジン式削岩機、捜索用音響探知機などの資器材。1995年に発生した阪神・淡路大震災の災害派遣における救援活動で、捜索・救助用器材が不足したことを教訓に考案・導入された

    土砂は大量の砂ぼこりに(2003年8月/平成15年台風第10号)

    北海道日高地区の災害で、行方不明者の捜索にあたった。路上に土砂が散乱し、災害発生から数日経った後にはそれが砂ぼこりに変わり、大量に飛散。マスク着用は欠かせなかった。

    道もない真っ暗な森林内で復旧作業(2003年9月/平成15年台風第15号)

    画像1: ※画像はイメージです(出典:陸上自衛隊公式HPより引用)

    ※画像はイメージです(出典:陸上自衛隊公式HPより引用)

     派遣現場が森林内で、道も明かりもなかったため、停電復旧のための倒木除去を行うのに苦労した。隊員同士声を掛け合い、注意喚起をして事故を防いだ。

    地割れのある地に慎重に着陸(2004年10月/新潟県中越地震)

     被災者の空輸任務を担当。被災場所が山地だったため、ヘリコプターの着陸点が限定され、学校の校庭や畑に降りることに。地割れが見られた場所では、圧をかけないよう着地をせずに、地上10〜20センチメートルほどの高さでホバリング(空中停止)し対応した。

    泥水と油でボート移動が大変(2019年8月/令和元年佐賀豪雨)

    画像2: ※画像はイメージです(出典:陸上自衛隊公式HPより引用)

    ※画像はイメージです(出典:陸上自衛隊公式HPより引用)

     河川の氾濫で水没した地域に派遣された。ボートで移動しようとするも、泥水と油で水深が分からず、船首の隊員が爪ざお(引っ掛け棒)で水深を探りながら進むのがやっとだった。

     水没地域は地図も参考にならず、現場に居合わせた地元の消防団員に道案内してもらい、救助作業を実施した。

    火山灰で呼吸と歩行が困難(2011年1月/霧島山<新燃岳>噴火)

     現地偵察の任務で派遣。火山灰により視界が悪く、呼吸と歩行にも支障を来した。ゴーグルとマスクで目と肺を保護しつつ任務を継続。

     水は飲むだけでなくうがい、洗浄などにも使うため、飲料水だけではなく、水の常時携行が必要と感じた。

    東日本大震災では、さまざまな被害が起きていた

    建物の間に挟まっている自動車を除去(2011年3月/東日本大震災)

    画像: 出典:統合幕僚監部ホームページ(https://www.mod.go.jp/js/Activity/Gallery/gallery_photo.htm)

    出典:統合幕僚監部ホームページ(https://www.mod.go.jp/js/Activity/Gallery/gallery_photo.htm)

     建物と建物の間のあちこちに、自動車が複数台押しつぶされ絡まりあって通路をふさいでいたので、重機を駆使しながら1台1台自動車を引っ張り出し、除去した。

    トイレが詰まり女性が苦労(2011年3月/東日本大震災)

     避難所では、全てのトイレが詰まっていたため、簡易トイレなどの用意が整うまでの間、特に女性が苦労しているのを見かけた。

    加工食品の腐敗臭が強烈(2011年3月/東日本大震災)

     行方不明者捜索で建物内を見て回る際には、加工食品などの腐敗に伴う悪臭がひどく、こまめな休憩(屋外での呼吸)が必要だった。

     マスクでは臭いを防ぎきれず、消臭効果のあるハッカ油などがほしかった。

    地形が変わり位置を伝えにくかった(2011年3月/東日本大震災)

    画像: 2011年3月に起きた東日本大震災の災害派遣では、地域によって、放射性物質の付着を防止する防護服を着用して行方不明者捜索にあたった

    2011年3月に起きた東日本大震災の災害派遣では、地域によって、放射性物質の付着を防止する防護服を着用して行方不明者捜索にあたった

     地震と津波の影響で地形が変わっており、地図と合致しなかった。そのため、「被災者が〇〇にいる」と具体的な位置を伝えることが難しかった。

    担架の代わりに畳で搬送(2011年3月/東日本大震災)

     行方不明者の捜索時、発見した被災者を指示された位置まで搬送する際、担架が不足していたため、たまたま周辺に流れ着いていた畳を活用して搬送した。

    調味料を混ぜ合わせハエ対策(2011年3月/東日本大震災)

     炊き出しの際、ハエなどの虫が多く飛んでいた。そのため、空のペットボトルの上部をカッターで切り取りハエが出入りできるくらいの小窓を作り、誘引剤としての調味料(酒、砂糖、酢を同量で混ぜ合わせる)を中に入れて、即席ハエ取りを作って対処した。

    マンホールが外れ、落ちる危険が(2011年3月/東日本大震災)

     行方不明者の捜索にあたった際、水没した被災地ではマンホールのふたが外れていることがあり、穴に落ちる危険性があったため、移動に神経を使った。

     水が引くまでは、穴に落ちないよう3人1組で腕を組んで歩いた。

    突き出ていたくぎを踏み負傷(2011年3月/東日本大震災)

     行方不明者捜索中に、がれきから突き出ているくぎを踏み、足を負傷してしまったため、足に清潔なタオルを巻いて応急処置を行った。

    腰まで水に漬かり進みにくかった(2011年3月/東日本大震災)

     行方不明者捜索を行うため、津波によって孤立した建物に向かうとき、腰まで水に漬かり、なかなか進めず苦労した。その後、現地でボートを提供してもらい、活用した。

    流れ着いた漁具の排除に苦労(2011年3月/東日本大震災)

     大津波で甚大な被害を受けた岩手県釜石市では、道路は大量のがれきでふさがれており、行方不明者捜索のため通れるようにするのに時間を要した。特に流れ着いた漁具(網や釣り具)の排除には、小型ナイフ、なたが必需であり、捜索隊はそれらを携行するようにしていた。

    プールの水をトイレにバケツリレー(2011年3月/東日本大震災)

     被災者の避難場所である学校のトイレが使用不能となったため、学校のプールの水をバケツリレーでトイレに運び、トイレが使えるように対応した。

    民家の入り口ががれきで開かず(2011年3月/東日本大震災)

    画像3: ※画像はイメージです(出典:陸上自衛隊公式HPより引用)

    ※画像はイメージです(出典:陸上自衛隊公式HPより引用)

     行方不明者捜索の際、要救助者がいる民家の入り口ががれきでふさがれていて入れなかったため、ハシゴを使用して2階から救助した。

    間一髪。道が崩落していて…

    高山病や有毒ガスとも戦う(2014年9月/御嶽山噴火)

    画像: 2014年9月の御嶽山噴火の災害派遣では、火山灰の積もる中、マスクを着けて捜索救助活動を続けた

    2014年9月の御嶽山噴火の災害派遣では、火山灰の積もる中、マスクを着けて捜索救助活動を続けた

     噴火した御嶽山で行方不明者の捜索にあたっていた際、高山病を発症した隊員がいた。体温低下で体が震えていたので、エマージェンシーシートで体を包み、防寒対策をとった。

     また、山小屋の中に入ると火山ガスで検知器のブザーが鳴り、マスクの重要性を感じたが、着用したまま頂上まで登るのは呼吸が苦しく大変だった。

    水没車両が多くあった(2015年/平成27年9月関東・東北豪雨)

     鬼怒川の堤防が決壊した災害で、民家に取り残された被災者をボートで救助に向かう際、水没している車両が多数あった。それらに接触したり、座礁したりして動けなくならないよう、さおを使用して慎重に進んだ。

    隊員が被災。危機一髪のところで救助(2015年/平成27年9月関東・東北豪雨)

    画像: 2015年9月の関東・東北豪雨では、浸水被害のあった茨城にてボートによる救助活動を行った

    2015年9月の関東・東北豪雨では、浸水被害のあった茨城にてボートによる救助活動を行った

     小型車両に乗り先発で災害現場に派遣された隊員が、川の氾濫によって車両ごと濁流の中に取り残されてしまったため、緊急で渡河ボートによる救助活動を行った。小型車両が完全に水没する寸前での救助となり、緊迫感があった。

    震える被災者に温かい食事を提供(2015年/平成27年9月関東・東北豪雨)

     濁流から救助された方々は全身濡れており、寒さで震えていたので、自衛隊の車両に積載していたヒートパック(蒸気で食材を温める袋)で携行食を温め、配布した。

    暗闇の先の道が崩落(2016年4月/熊本地震)

     給水支援、物資輸送の任務で派遣。停電中に自動車で夜間走行をしていたとき、前方道路の闇が深くなったため、自動車を降りて確認をしたら、崖崩れにより道が崩落していた。気が付かずに進んでいたら、崖から転落していたと思うと、ヒヤリとした。

    大雪、炎天下…天候によって異なる困難

    余震が続き、常時揺れている感覚(2016年4月/熊本地震)

    画像: 2016年4月の熊本地震では、土砂崩れのあった南阿蘇にて行方不明者捜索にあたった

    2016年4月の熊本地震では、土砂崩れのあった南阿蘇にて行方不明者捜索にあたった

     熊本地震の災害派遣では、本震の後も余震が続き、体がずっと揺れている感覚になった。ペットボトルに水を入れて置き、簡易的に揺れ(地震)が分かるように対応した。

    悲惨な現場に体調不良になる隊員も(2016年4月/熊本地震)

     行方不明者の捜索時、悲惨な現場での任務により体調不良になる隊員がいたため、一定時間で人員を交代することによって、心身の負担を極力軽減するようにした。

    自己位置を知らせる警笛を携行(2018年9月/北海道胆振東部地震)

     大規模土砂崩れ地域の道路を、緊急車両が通れるよう簡易的に整備するために派遣。さらなる土砂崩れの危険がある中での作業となった。

     何か起きたときの自己位置明示のために、隊員はそれぞれ警笛を携行し、斜面の様子を見張る監視員も配置された。

    濡れた服のまま仮眠で疲労困ぱい(2020年/令和2年7月豪雨)

     降雨の中での活動となり、全身が濡れた状態で仮眠をとらねばならず、疲労が蓄積した。

    深く積もった新雪で歩くのもひと苦労(2020年12月/関越自動道における大雪)

    画像: 2020年12月の関越道における大雪で、立ち往生した車両の運転手に救援物資を手渡す隊員

    2020年12月の関越道における大雪で、立ち往生した車両の運転手に救援物資を手渡す隊員

     物資の輸送や被災者の健康状態の確認任務を担当。降りやまない雪の中、高速道路上に立ち往生した自動車の中に残された人たちを巡回したが、新雪が50センチメートル近く積もっており、歩くのにも苦労した。

     雪が靴の中に入らないよう、ズボンと靴の隙間にかぶせるようにして装着するゲイターを履いて対応にあたった。

    熱中症対策を施しての捜索(2021年7月/熱海市伊豆山土石流災害)

     炎天下にて行方不明者捜索が行われたため、スポーツドリンク、塩分配合タブレットおよび冷却スプレーなどの熱中症対策グッズが手放せなかった。

    (MAMOR2022年9月号)

    <取材・文/MAMOR編集部 写真提供/防衛省>

    災害・有事を生き残る自衛隊サバイバル術

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