自衛隊には、隊員とその家族の診療を行う職域病院=自衛隊病院(注)が全国にあり、医師資格を持つ自衛官である医官、看護師資格や保健師資格を持つ看護技官らが従事している。
2022年3月17日、新設の自衛隊病院としては17年ぶりに、入間病院が開院した。この病院がすごいのは、空自ならではの医療分野である「航空医学」機能を有する病院として、日本初の診療科・航空医学診療科を設置し、航空業務従事者などの検査と治療を一元化して行えること。
さらに、2000メートル級の滑走路を有し、大型輸送機の離着陸も可能な入間基地にあるため、有事や災害時には患者の空輸拠点としての役割を果たす。さまざまな新機軸が盛り込まれ、国防の期待を担う入間病院をご紹介しよう。
注:一部の自衛隊病院では一般市民の診療も行っている
航空機搭乗員の体を守る「航空医学」とは?
パイロットをはじめ多数の航空機搭乗員を擁する航空自衛隊にとって、必要不可欠な「航空医学」。気圧も低く酸素も少ない高空で過酷な環境にさらされる搭乗員たちが、健康で任務をまっとうできるようにするための医学だ。航空医学がどのような医学なのか、その概要について説明しよう。
「航空医学」とは、主に航空機搭乗員に対する健康管理や、航空機搭乗中に発生し得る身体の変調に対応する医学のこと。
人は、地上から高い山や空の上に移動すると身体にさまざまな変調が現れる。耳や目の奥が痛くなるのも、その一例だ。
上空でパイロットを襲うさまざまな症状
高所では地上に比べ気圧が下がる。気圧が低くなると「減圧症」という症状が出る。皮膚や関節が痛くなったり、肺に圧迫感を感じたり、咳が出たりする。神経に異常が出ることもあり、頭痛や運動障害、場合によっては意識障害に至ることもある。
上空では酸素も吸収しづらくなる。酸欠状態では疲労感や視力の低下を覚えるほか、判断力や言語能力も下がっていく。後述する航空医学実験隊での低圧低酸素訓練では、人工的に作り出した低圧低酸素の環境で、被験者が「12-5」のような簡単な引き算すらできなくなる症例も報告されている。
同様の症状としては、「高山病」がよく知られている。これは、航空機に乗った際にも起こりうる症状だ。頭痛、めまいや立ちくらみ、吐き気、全身倦怠感や脱力感などが起き、ひどい場合には肺に水がたまった状態になる「肺水腫」になり、呼吸困難や胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
航空機搭乗員特有の症状は、自然に解消されるものもあるが、中には治療が必要なものもある。例えば、重度の減圧症には、気密したタンクの中で酸素の圧力を大気圧以上に上げ、血液の酸素量を増やす高気圧酸素治療装置が用いられる。
また、飛行中に体にかかるG(重力や加速度によって生じる慣性力)の影響も大きい。慢性的な腰痛や頚部痛に悩まされたり、さらに、体内の血液が偏ることによって起こるブラックアウト(脳の血液が不足し、視野狭窄・失神などを引き起こす)などには航空医学の知識を持った医者の診断と治療が必要だ。
入間基地は日本唯一の航空医学拠点に
こうした症状の診断や治療は、従来耳鼻科や眼科、内科などに分かれて行っていたが、入間病院には、日本初の診療科として「航空医学診療科」が設置され、搭乗員に対する検査から治療までを一貫して行えるようになった。
航空医学の知識をもった医官は、隊員の症状を見てフライトに支障があるかどうか診断し、航空機搭乗員に配慮したケアを行う。また、治療の必要があると診断された場合でも、任務復帰を見据えた治療方法などを提案することができるのである。
航空医学のスペシャリスト「航空医学実験隊」とは
入間病院が開院するまでは、隊員に対する航空医学に関する検査や研究は、航空医学実験隊が担ってきた。今後は、航空機搭乗員の訓練や検査、研究などで入間病院と協同する、この部隊について解説しよう。
入間基地には、1957年に発足し60年以上の歴史を持つ「航空医学実験隊」がある。高々度を飛行する航空機が搭乗員に与える影響の調査研究、および特殊な環境に対する航空機搭乗員らの訓練を実施する部隊だ。
日本トップクラスの規模を誇り、上空と同程度の低圧・低酸素を再現できる「低圧訓練装置」をはじめ、飛行中に受けるGを再現することができる「遠心力発生装置」、自分の位置・姿勢・運動状態などを正しく認識する訓練に使用する「空間識訓練装置」、航空機から緊急脱出する際のシミュレーションを行う「射出座席訓練装置」、フライトシミュレーターなど、大規模な装置を有して航空機搭乗員に対する訓練を行っている。
これに加えて、航空機搭乗員が陥る可能性のある、さまざまな危険やストレスなどから搭乗員を守るための実験も行われている。
例えば、パイロットが装着する飛行服や救命胴衣、耐G服(下脚を締め付けて下半身への血流の集中を軽減させる)、酸素マスクなどの実用試験や機能の調査研究を担当。ほかにも、実際の飛行状況を再現しながらパイロットの脳波や心電、呼吸などの生体データを計測して、パイロットの脳機能や心理の分析も行うのも任務の1つだ。
航空機搭乗員は、定期的に任務遂行に必要な心身の状態を保っているかを精密に検査する「航空身体検査」(40歳以上では検査項目を追加した航空身体検査)を受けなければならない。
今後、これらの訓練・研究は航空医学実験隊が、検査・診察・治療は入間病院が、空自の航空医学分野において協同していくことになる。
(MAMOR2022年7月号)
<文/臼井総理 写真/増元幸司>
ー空飛ぶ自衛隊病院ー