潜水に関する医学や心理学、人間工学などを研究し、深海で遭難した潜水艦から乗員を救出するという特殊な任務を担う潜水士を養成しているのが、神奈川県横須賀にある海上自衛隊潜水医学実験隊(潜医隊)だ。
潜水医学実験隊の飽和潜水訓練は世界的にも評価が高い。地上とはまったく違う環境の「深海潜水訓練装置」内の閉ざされた空間でほぼ1カ月間を過ごす隊員たちは、訓練中に何を見るのだろうか。
深海を想定した加圧装置内の過酷な水槽訓練
1986年に飽和潜水課程がスタート。92年に450メートルの飽和潜水に成功してからはより安全、確実に潜水できるよう、一貫して飽和潜水の訓練、研究を行ってきた。
ちなみに、水深450メートル以上の作業に関しては、飽和潜水員の作業効率が落ちるため無人探査機など、ほかの手法を取っているのが現状である。
飽和潜水員は養成課程で60メートルの深度を経験したのち、さらにより深い海にチャレンジしていく。その最も過酷な訓練が、3年に一度行われる450メートルの飽和潜水訓練だ。訓練で大量に消費するヘリウムガスが非常に高価なため、この訓練は3年ごとの実施となっている。
その訓練は、それまで200メートル以上の飽和潜水を経験した潜水員6人により行われる。訓練期間は、加圧に2日半から3日間。それから2、3回作業任務を遂行したのち、今度は約3週間かけて減圧する。ほぼ1カ月の間、6人の隊員は狭い装置の居住区画で起居を共にしなければならない。
潜水作業訓練は2人1組が原則のため、訓練をする2人と補助員1人の3人が1ユニットとなり、これを2ユニット編成する。訓練開始となると、まず1ユニット3人が居住区画に接続した移乗室に移り、ここで訓練をする2人が飽和潜水用の温水服を着用。床のハッチを開けてその下の加圧された水槽(ウエット・ポッド)に入り作業訓練を行う。
このように2ユニットが交互に狭い水槽内で本番さながらの訓練を行う。3年前にこの訓練に参加した太田康紀2等海曹によると、「深度450メートルの世界では、呼吸抵抗が大きくて鼻呼吸は難しい。そのため通常の訓練より体力的にきつく、日ごろから有酸素運動を積極的に行う必要性を感じました」。ここでは息をするだけでも地上と違うという。
それでは作業訓練以外のときは、隊員たちは何をしているのか。実は何もしてはいけないのである。
深度が深ければ深いほど体にかかる負担は大きく、訓練以外のときは運動は厳禁。高温多湿の環境であることなどから皮膚は感染症を起こしやすくなっており、傷につながりやすいひげそりや耳かきを控える必要がある。そのため、飽和潜水中のほとんどの時間は、何もしないでじっとしているだけなのだ。
さらに装置内の大気はヘリウムが98パーセントを占めているので、内部の隊員たちの声は独特の甲高い声になり、コミュニケーションをとることですらも難しいという。隊員たちの心理的な影響を考慮して、外界からの情報もほぼシャットアウトした状態で訓練は続けられる。
長期間ともに過ごすことで深まる隊の絆
つらい訓練中の数少ない楽しみの1つが食事だ。メニューは外部と同じで、味は変わらないものの、例えばご飯は地上より弾力性が増して、食感がかなり違っているという。
外部から提供されるものは「サービスロック」という2重扉のハッチを通して提供されるが、ペットボトルのような密閉された容器は、装置内に入れた瞬間に膨大な圧力がかかってつぶれてしまうので使用できない。またチョコレートは加圧する際に「サービスロック」内の温度が上がって溶けてしまうので、氷とともに中に入れられる。
内部の様子は24時間モニターで監視され、隊員たちの脳波や各種体調データも定期的にチェックされる。さらに22時の消灯後は、心電図電極を付けたまま就寝しなければならない。
自分たちの行動は制限されたうえに、全てを監視された狭い密閉空間で、6人が1カ月を過ごす。
「その圧迫感やストレスは非常に大きいものがあります。中途半端な覚悟では、とてもこの訓練に臨めません」と太田2曹は過酷だった訓練を振り返る。訓練後の体力の低下も激しく、階段を上るだけで息切れがするほどだったそうだ。
「でも、訓練を受けるわれわれ6人のために、ほかの潜水員やスタッフが毎日サポートしているということは片時も忘れることがありませんでした。また狭い中ですから、相手にぶつからないようにとか食事のスピードを合わせるとか、周りに気を配るようになり、訓練中に仲間との絆はどんどん強くなっていきます」
装置から出た瞬間の達成感は何物にも代えがたかったという太田2曹。今は教える立場となり、そのときの体験を部下や学生に伝えているという。
ミリタリーダイバースーツを徹底比較
作業を行う現場の水深や水温によって、潜水員が着用するスーツや装備は大きく変わってくる。過酷な環境から身を守るため、その全てが必需品だ。
スクーバウエット装備
水温が暖かいときに着用するスーツ。身体にぴったりと密着させるため、ダイバー各人の体型に合わせて作られる。これで水深40メートルまで潜ることができる。
万一水中でロープなどが絡まったときにそれを切断するためのナイフを常備する。
潜水時間と、ボンベ内の空気の残量を知るために、ダイバーズウオッチは必携。
スクーバドライ装備
寒冷地での潜水用のドライスーツ。中に水が入らないようになっており、中に厚手の服を着込めるよう大きめのサイズ。
作業に適した浮力を調整するため、スーツ内の空気を抜く排気弁が搭載。
止水ファスナーで水が入り込まない構造になっている。トイレ対策も万全。
飽和潜水装備
飽和潜水用の温水服。外部からスーツ内部に温水と空気を送る。深海で4時間ほど作業ができる。
両肩の上に非常用の人工肺が収納されている。
ヘルメットのジョイント部。スーツに循環させるお湯や、酸素を送る装置など複雑な構造に。
緊急時に空気を吸いやすいようにアシストする人工肺の機能を搭載。30分程度のボンベを収納。
(MAMOR2019年11月号)
<文/古里学 写真/長尾浩之、防衛省>