•  国連が紛争地域の平和維持を図る手段として行ってきた活動が「国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations 略称PKO)」。自衛隊によるPKOは、現在も継続して行われているUNMISS、MFOも含め、活動は全部で10を数える。

     派遣隊員は事前準備としてどのような教育を受けているのか、また今後、期待されるのはどのようなことなのか、探ってみた。

    質の高い活動を行うために派遣前教育を実施

    多様な文化や現地事情に即した教育で心構えを養う

    画像: 国際平和協力本部事務局による、司令部要員のための派遣前研修において、英語で講義を受ける隊員

    国際平和協力本部事務局による、司令部要員のための派遣前研修において、英語で講義を受ける隊員

     国際平和協力本部(注1)事務局は、国際平和協力隊員の候補者が、現地で活動する上で必要な知識と技能を身に付けることを目的に、派遣前研修を実施している。カリキュラムは国連策定の必須派遣前研修教材にのっとった課目のほか、現地で生活し、業務を遂行するために確認すべき情報や制度など、多岐にわたる。コミュニケーションツールとしての英語能力の向上はもちろん、各派遣先の特性に合わせ、各国の文化や宗教・慣習への理解を深めることは重要な課題だ。

    画像: 国際活動教育隊では、派遣先で交通事故に巻き込まれた現地住民への応急処置法や、その後の現地警察による聴取対応法など、実践的な訓練が行われる

    国際活動教育隊では、派遣先で交通事故に巻き込まれた現地住民への応急処置法や、その後の現地警察による聴取対応法など、実践的な訓練が行われる

     一方で静岡県御殿場にある陸上自衛隊駒門駐屯地にも、国際平和協力活動などに関わる教育訓練を担当・支援する「国際活動教育隊」がある。陸上総隊の隷下部隊で、PKO派遣に関する「ノウハウの蓄積」と「訓練の斉一性」を高めることを目的として設立された。派遣先で事故にあった場合の応急処置法などの最新知識を習得するなど、より実践的な訓練を実施している。

     派遣が決まった隊員は双方の教育を受ける。こうしたきめ細やかな事前教育も、自衛隊の活動の国際的な評価につながっているのだ。

    ※(注1)内閣府の特別の機関で、日本のPKOなどへの参加に関する事務を担当

    内閣府国際平和協力本部事務局長が振り返る、30年の活動の歴史と自衛隊への期待

    得意分野で活動範囲を広げ、日本の存在感を示せた

    【内閣府国際平和協力本部事務局長 久島直人】
    1986年外務省入省。国連政策課長、国連公使、総括審議官、軍縮不拡散・科学部長などを経て2020年より現職

     1992年の国際平和協力法制定時は、「国連平和維持活動」と「人道的な国際救援活動」という2つの類型しかなかった国際的な平和協力活動ですが、現在では「国際的な選挙監視活動」や「国際連携平和安全活動」が追加されています。

     これまでの30年間は、わが国の得意分野を中心に活動の範囲を広げながら、世界の「国づくり」に貢献してきた歴史といえると思います。隊員の皆さまには、カンボジアPKO以来、延べ1万人以上の方に国際平和協力の現場で貢献いただきました。UNMISSやMFOの幹部からは、わが国が派遣している司令部要員に対する肯定的な評価や、今後の継続的な派遣を期待している旨の発言を得ています。また、2021年8月にエジプトを訪問した茂木外務大臣(当時)に対して、同国のシュクリ外相からわが国のMFOへの要員派遣に対して感謝する旨の発言があったそうです。

     わが国が今後とも国際平和協力の分野で存在感を発揮するためには、男性・女性双方の優秀な自衛官の皆さんの参加が必要不可欠なため、引き続き積極的に参加いただけることを切に願っております。

    元外交官で評論家の宮家邦彦氏が語る、自衛隊のPKOが評価される理由

    自衛隊の伝統的な高潔さがPKOにも表れている

    【外交評論家 宮家邦彦】
    キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹。1978年外務省入省。中東、アメリカ、中国などで外交官として勤務。日米安全保障条約課長、中東アフリカ局参事官などを歴任し、2005年退官。論文やリポートで研究成果を精力的に発表している

     1998年にゴラン高原派遣輸送隊を訪ねたときのことです。当時の司令官はカナダ人でしたが、彼は自衛隊の規律と隊員の優秀さ、組織力、高潔さを非常に高く評価していました。私は日本人、あるいは日本社会の良い一面が、自衛隊の伝統的な高潔さとして引き継がれていることを知り、非常に誇らしく思ったものです。現在、日本のPKOも30年を迎え、国際的にも高い評価を得ています。特にここ数年は、司令部要員として幹部自衛官がPKOに派遣される機会が増えています。この事実はやはり自衛隊が積み上げてきた地道な活動が評価された結果ではないでしょうか。

    画像: 1992年9月17日、自衛隊初のPKO海外派遣部隊が、カンボジアに向け、広島の呉港を出発。国内に反対論が沸き上がり、激しい国会論戦を経ての派遣となったが、これを皮切りに、自衛隊の海外派遣は今も続いている 写真/共同通信イメージズ

    1992年9月17日、自衛隊初のPKO海外派遣部隊が、カンボジアに向け、広島の呉港を出発。国内に反対論が沸き上がり、激しい国会論戦を経ての派遣となったが、これを皮切りに、自衛隊の海外派遣は今も続いている 写真/共同通信イメージズ

     30年前、自衛隊のPKO派遣が決まった当時の日本には、異様ともいえる反対論が沸き上がっていました。世間からは「海外派兵」と批判され、自衛隊内部からもPKOに優秀な人材を割くことで日本の防衛がおろそかになるのではと反対する声もあったと聞きます。国内の評価も高まった現在とは、隔世の感があります。

     今後も日本のいいところを前面に出しながら、他国とはひと味違う仕事をやっていただきたい。そしてそこで得た国際的な視野や兵たんに関するノウハウを、国防という本来の任務に生かしていってほしいと思います。

    自衛隊が行ってきた30年間のPKO年表

     自衛隊が関わった全てのPKOなどを、活動が始まった順に並べると以下のとおりだ。

    ●1992年9月~93年9月:国連カンボジア暫定機構(UNTAC)

     UNTACは、自衛隊にとっては初となるPKO。日本は、武装解除のため集められた武器の保管状況や停戦順守状況の監視、選挙の公正な執行の監視、現地警察に対する助言・監視、道路や橋の補修などの協力を行った。また、憲法制定議会選挙(注2)に協力するため、UNTACには広報・教育用としてテレビ、ビデオ、小型発電機のセットなどの視聴覚機材を、また武装解除される20万人の兵士とその家族には医薬品を提供した。

    ※(注2)憲法改正を目的とした臨時の立法機関である「憲法制定議会」のメンバーを国民の中から民主的に決める選挙

    1993年5月~95年1月:国連モザンビーク活動(ONUMOZ)

     1992年10月、モザンビーク政府とモザンビーク民族抵抗運動(注3)は、14年間にわたる内戦の停戦に合意。国連モザンビーク活動(ONUMOZ)は、停戦や武器解除の監視、選挙監視、人道援助支援などを行うために設立されたPKO。

    ※(注3)白人政権によって設立されたモザンビークの政党の名で、設立当初は反政府武装組織だった

    1996年1月~2013年2月:国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)

     UNDOFとは、中東のゴラン高原地域におけるイスラエルとシリア両国間の停戦監視などを行う国連ミッション。1996年から派遣された自衛隊の派遣輸送隊は、UNDOFの活動に必要な日常生活物資などを、イスラエル、シリア、レバノンの港湾、空港、市場などから各国の宿営地まで輸送した。また、道路の補修や、標高2800メートルを超える山岳地帯での除雪作業なども行った。

    2002年2月~04年6月:国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)

     日本は東ティモールで、道路・橋などの維持補修、選挙の公正な執行の監視、武力紛争停止の順守状況の監視、避難民のための救援物資の輸送などの協力を行った。2002年5月20日より「国連東ティモール支援団(UNMISET)」に移行。

    2007年3月~11年1月:国連ネパール政治ミッション(UNMIN)

     1996年以降、武力紛争が継続していたネパール国軍とマオイスト(注4)との間で、2006年11月、包括和平合意が成立。07年、国連は武器および兵士の管理の監視、制憲議会選挙を実施するための支援などを任務とする国連ネパール政治ミッション(UNMIN)を設立。軍事監視要員として自衛隊員を派遣した。

    ※(注4)文革期の中国共産党の特有の理論は、外国では広く毛沢東主義、マオイズムと呼ばれ、その信奉者を毛沢東主義者、マオイストと呼んだ

    2008年10月~11年9月:国連スーダン・ミッション(UNMIS)

     国連スーダン・ミッション(UNMIS)は、北部スーダンに展開したPKO。2008年10月3日、国際平和協力法に基づき、UNMIS司令部に、兵站幕僚と情報幕僚として自衛隊員をそれぞれ1人派遣することを閣議決定した。11年7月に南スーダン共和国が成立したことに伴い、任務を終了。

    2010年2月~13年2月:国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)

     MINUSTAHはハイチにおける安全かつ安定的な環境の確保を主な任務として設立された国連ミッション。日本時間の2010年1月13日に発生したハイチ大地震を受け、緊急の復旧、復興、安定化を支援するため増員が必要となり、日本はハイチ派遣国際救援隊などを編成し、MINUSTAHに派遣。民間の輸送機のほか、航空自衛隊の政府専用機KC–767空中給油・輸送機、C–130H輸送機などにより円滑に活動が行われた。

    2010年9月~12年9月:国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)

     東ティモールの治安が悪化したことを受け、同国の安定強化と国づくり支援のため設立。自衛隊からは軍事連絡要員を派遣。

    2011年11月~:国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)

     UNMISSは、平和と安全の定着および南スーダンにおける発展のための環境構築の支援を任務として、2011年7月9日の南スーダン独立に伴い設立。現在、自衛隊からは司令部要員(注5)を派遣し、兵たん、情報、施設、航空運用の各業務の企画・調整などを行っている。12〜17年までは、施設部隊などとして延べ約4000人を派遣し、道路などのインフラ整備などを行った。

    ※(注5)ミッションを統括する組織で計画づくりなどを行う

    2019年4月~:多国籍部隊・監視団(MFO)

     MFOとは、エジプトのシナイ半島における、エジプト軍とイスラエル軍の停戦監視を任務とする多国籍部隊・監視団の略称。日本では1988年より財政支援を行ってきたが、MFOから司令部要員派遣要請を受け、2019年から陸上自衛官2人を派遣。司令部要員はエジプトやイスラエルの政府やそのほかの関係機関とMFOとの間の連絡調整を行う。MFO派遣は、PKOと同様の活動を行う国際連携平和安全活動(注6)への初めての協力となった。

    ※(注6)国連が統括しない枠組みのもとで行われる、国際的な平和協力活動

    (MAMOR2022年6月号)

    <文/真嶋夏歩 写真提供/防衛省、内閣府>

    30年にわたるPKO派遣からVOICE&COMMENT

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