•  国連が紛争地域の平和維持を図る手段として行ってきた活動が「国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations 略称PKO)」。国連平和維持活動や人道的な国際救援活動に、自衛隊などが参加することを可能にした「国際平和協力法(PKO法)」が成立した1992年に、カンボジア派遣から本格的に始まった自衛隊によるPKOは、2022年で30周年を迎えます。この30年間に、自衛隊はどのような活動で世界に貢献し、各国はどう評価しているのでしょうか? 関わった人々の声、送られたコメントを基に検証します。

    エジプト

    多国籍部隊・監視団(Multinational Force and Observers 略称MFO)
    ●2019年4月~
    ●派遣隊員延べ6人(2022年3月現在)
    (注)エジプトへの派遣はPKOではないが、同じく国際的な平和協力活動なので併せて紹介する

    MFOの背景:アラブ側がイスラエルに政治的勝利

     1973年の第4次中東戦争において、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃。激戦の末、石油戦略でアラブ側の政治的勝利に終わった。78年にエジプト大統領とイスラエル首相が署名した和平合意に基づき、両軍の兵力引き離しを監視するため、シナイ半島に配備されたのがMFOだ。シリアの要請で、拒否権を持つソ連が反対したことから、国連によるPKOがかなわなかったため、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアなどが中心となり、81年に設立。

    MFOとは?:財政支援に加え、司令部要員も派遣

    画像: 海上監視部隊の活動について説明を受ける自衛隊員。連絡調整業務を円滑に行うためには、現場の活動を把握することが不可欠

    海上監視部隊の活動について説明を受ける自衛隊員。連絡調整業務を円滑に行うためには、現場の活動を把握することが不可欠

     MFOとは、エジプトのシナイ半島における、エジプト軍とイスラエル軍の停戦監視を任務とする多国籍部隊・監視団の略称。日本では1988年より財政支援を行ってきたが、MFOから司令部要員派遣要請を受け、2019年から陸上自衛官2人を派遣。司令部要員はエジプトやイスラエルの政府やそのほかの関係機関とMFOとの間の連絡調整を行う。MFO派遣は、PKOと同様の活動を行う国際連携平和安全活動(注1)への初めての協力となった。

    ※(注1)国連が統括しない枠組みのもとで行われる、国際的な平和協力活動

    自衛官派遣は日本とエジプトの信頼関係の強化を促進

    【在エジプト日本国大使館特命全権大使 岡浩】
    2021年11月より現職。ビジネスを含め、日本とエジプトが協力して行う数多くの取り組みを支援すべく、情報発信に努める

     MFOへの財政支援および司令部要員の派遣は、中東地域の平和と安定に貢献するだけでなく、日本の国際平和協力の推進にとって有益な知見の蓄積にもつながる、有意義なものであると確信しています。日本に対するエジプトの理解は、確実に深まっており、政府・軍関係者との人脈構築も進むことから、2国間の関係強化の観点からも、大きな意味を持っていると思います。

     国際平和協力活動は息の長い取り組みです。国際社会の一員である日本が、積極的平和主義の旗の下、粘り強く貢献し続けていくことは、世界の平和と繁栄の実現に向けた、相応の役割・責務を果たしていくことにつながると考えています。

    日本の評価に直結する業務に緊張感のある日々

    【MFO司令部連絡調整部副部長 林田賢明2等陸佐】
    2021年6月より現職。連絡調整部において、シナイ半島の南部地域を管轄するチームを率いる

     シナイ半島南部地域には、MFO司令部、空港、港湾、病院、政府機関の主要施設などが存在するため、業務は多岐にわたります。私の任務は、エジプト軍の将校と調整することが多いのですが、当地の文化・風習や、軍人の気質などを踏まえて業務を進めることに、時に苦労を感じます。

     また、在イスラエルのエジプト大使の輸送支援を行った際、大使から「MFOは非常に重要な組織であり、その重要部署で自衛官が活躍していることは、広く知られている。日本からの人的貢献は素晴らしい」と、感謝の言葉をいただき、身が引き締まる思いがしました。

    2国間の調整において、自衛官が見せる「相手への気遣い」は、MFOの大きな財産

    【在エジプト日本国大使館 防衛駐在官 海老名健一1等陸佐】
    2019年より現職。エジプトおよび周辺国の安全保障情勢に関する情報収集などを精力的に行っている

     MFOが、エジプトおよびイスラエル軍当局間との相互連絡調整を緊密に行うことで、両者の信頼の醸成・維持に、確実に貢献できていると実感しています。両国間の良好な関係の維持は、中東情勢安定の一助となっており、わが国から派遣される自衛官は、まさにこの両者間の対話の促進・維持に実際的に携わっています。MFOカイロ・オフィスの代表からも、「相手への気遣いができる自衛官がMFO司令部の要となるポジションに勤務していることは、MFOにとって大きな財産である」との評価をいただいております。

    多国籍部隊特有の困難を柔軟さで克服

    【MFO司令部連絡調整部運用幹部 原泰3等陸佐】
    2021年6月より現職。連絡調整部運用幹部として、エジプト・イスラエル両国に必要な情報を通告している

    オフィスで他国の司令部要員と打ち合わせをする自衛隊員。コミュニケーション能力が重要となる

     多国籍部隊という組織の特性上、要員の大部分は1年もすればほとんどが入れ替わってしまいます。そのため、エジプト、イスラエル両国との連絡調整に関する細かいルールや連絡調整において留意すべき点などを正確に引き継いでいくことは非常に困難です。また、各国軍の仕事の仕方も少しずつ異なります。

     これに加え、文化・慣習の相違や英語コミュニケーション能力の差異によって、いや応なく誤解や摩擦が生じます。大切なのは、積極的かつ入念な調整と、柔軟かつ果断な実行によって、任務達成を日々サポートしていくこと。小さな積み重ねですが、困難を克服して明日へとつないでいくことに、大きなやりがいを感じています。

    ハイチ

    画像: 自衛隊とアメリカ軍が力を合わせて行ったミッションの1つで、学校と診療所を建設

    自衛隊とアメリカ軍が力を合わせて行ったミッションの1つで、学校と診療所を建設

    国連ハイチ安定化ミッション(United Nations Stabilization Mission in Haiti 略称MINUSTAH)
    ●2010年2月〜13年2月
    ●派遣隊員延べ2196人

    PKOの背景:政治勢力間の対立から内戦状態に

     2000年の議会選挙以降、政治勢力間の対立が激しくなったハイチ。同年の大統領選挙ではジャン・ベルトランド・アリスティドが当選したものの、反対派の反発を強め、候補の支持者同士が衝突し、各地で騒乱・暴動が起きる事態に。04年、政府に対し武力闘争を仕掛ける勢力が立ち上がると内戦状態となり、大統領は辞任しハイチから出国。同年4月、国連は武装解除など治安回復を図ることを目的にMINUSTAHを設立した。

    MINUSTAHとは?:日本はハイチ大地震を機に派遣

     MINUSTAHはハイチにおける安全かつ安定的な環境の確保を主な任務として設立された国連ミッション。日本時間の2010年1月13日に発生したハイチ大地震を受け、緊急の復旧、復興、安定化を支援するため増員が必要となり、日本はハイチ派遣国際救援隊などを編成し、MINUSTAHに派遣。民間の輸送機のほか、航空自衛隊の政府専用機KC–767空中給油・輸送機、C–130H輸送機などにより円滑に活動が行われた。

    震災の報道に動揺する隊員のケアに試行錯誤

    【自衛隊那覇病院 看護官 竹田妙子1等陸尉】
    2011年2月から半年間、ハイチ派遣国際救援隊のカウンセラー要員(注2)として、首都ポルトープランスの宿営地に赴任し、隊員のケアに努めた

     ハイチに派遣されて1カ月たらずの3月に、東日本大震災が発生しました。不安定な心理状態に陥る隊員や、「日本に帰って災害派遣に参加したい」と思う隊員も少なくありませんでした。私は、今の派遣隊の任務は、ハイチでの復興支援・PKOであることを、隊員1人ひとりが再認識し気持ちを切り換えられるよう、心理的援助を試行錯誤する毎日でした。

     現地で民生支援(注3)に参加した際には、ハイチ地震で叔母を亡くした女の子が、日本隊の救援隊隊員から教わったという折り鶴を作り、私にプレゼントしてくれました。「日本が大変なときに、ハイチを助けてくれてありがとう」と。実は私自身、小学校卒業・中学校入学という節目を迎える娘を日本に残しての赴任だったので、子どもたちの姿が娘と重なり、屈託のない笑顔にとても励まされたのを覚えています。

    ※(注2)過酷な災害派遣現場での任務にストレスを感じる隊員に対し、心のケアを担当する
    ※(注3)戦地などにおいて、一般人に食料や医療などさまざまな支援を施すこと

    戸惑いの中、強い使命感が任務遂行につながった

    【第1輸送航空隊飛行群第401飛行隊・飛行班長 武部誠3等空佐】
    2010年よりハイチ国際緊急援助空輸隊に参加。アメリカ フロリダ州のホームステッド空軍基地まで、ハイチ被災民などの空輸を実施

     地震後のハイチ共和国ポルトープランス空港では、エプロン地区に駐機できない航空機が芝生に多数駐機され、航空機のすぐそばを車両が行き交うなど、かつて見聞きしたことのない混乱を経験しました。国外へ退避するために多くの住民が空港に押し寄せていましたが、クルーの中には、このような緊迫した状況でこそ「われわれがやらなければ」という使命感が強くあり、任務に臨む姿勢も非常に前向きで一体感がありました。

     アメリカ空軍基地やホテル周辺で日の丸を付けた飛行服、整備服、作業服で行動しているときに、現地の住民から「日本からハイチ地震の援助のために来たのか?」、「ありがとう」という言葉を多くかけられたときには、やりがいを強く感じました。関係各所との連携の重要性、任務の達成感など、自分が得た貴重な経験を、現在は後輩隊員の教育に活用しています。

    (MAMOR2022年6月号)

    <文/真嶋夏歩 写真提供/防衛省、内閣府>

    30年にわたるPKO派遣からVOICE&COMMENT

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