自衛官といえども、入隊するまでは、例えば、親元から学校に通う学生など、普通の若者だった。どこにでもいる若者が、ひとたび事が起きれば身をていして人を助け国を守るための任務に就く。
そのための肉体的にも精神的にも厳しい訓練で、くじけそうになった彼らを支えたのは、教官や上司、先輩から送られた“言葉”だった。彼らを強くしたその言葉を集めてみた。
「無理はしろ。無茶はするな」
訓練の際、教官に言われ、努力や目標の設定に対してやる前から「無理だ」と自分から限界を設けてはならないということ、無計に「無茶」はせず計画的かつ安全に配慮する必要があることを痛感させられました。自分も教官として指導する立場となり、学生教育や後輩への指導において伝えている言葉です。(3等空佐)
「痛みなくして成長なし」
潜水訓練において苦しくなったとき、「いかに落ち着いて対処するかは、痛みを伴う苦しい訓練を乗り越えた者にだけ分かる」という意味で上司に言われた言葉です。潜水という死と隣り合わせの任務においては、自分が死なないためにも人を死なせないためにも、常日ごろの訓練が非常に重要だということを強く認識させられました。(3等海佐)
「笑顔でいる人の所に人は集まる」
約20年前の部隊勤務時に、技量の伸び悩みと人間関係の悩みとで落ち込んでいたとき、上司に言われた一言です。その職場に転入したばかりでまだなじめず、内にこもっていた自分に気付かせてくれた言葉でした。今は部下を持つことが多くなってきましたが、この言葉を思い出し笑顔でいることで、良好な雰囲気の中、部下の協力が不可欠な任務を達成できています。(3等陸佐)
「あらゆる手段を尽くして安全を確保せよ」
ヘリ操縦の教育期間中に、「死なないことが任務成功の前提」として教官からこの言葉を言われました。パイロットを熱望してこの道に進んだということを忘れず、安全意識を持って任務に取り組むための心構えとして胸に刻みました。
私の初任務は東日本大震災で津波に襲われる仙台での航空偵察でしたが、眼下に広がる光景にショックを受けて操縦かんを握る感覚がなくなりかけたときこの言葉を思い出し、その後の雪による視界不良状態でのフライトでも安全に任務を全うすることができました。(2等陸曹)
「苦しみを乗り越えればあとは上がるだけ」
課程を卒業する前に、教官から贈られた言葉です。きつい、苦しい状況がいつまでも続くことはない、苦しみを乗り越えれば、必ずいいことが待っている、ということを教官の体験談を交えて教えられ、感銘を受けました。この言葉を胸に、部隊での勤務で壁にぶち当たったときも、前向きにとらえて業務に取り組んでいます。(1等陸尉)
「没我協調」
9年前、極寒の厳しい環境において遊撃の教育を受けたとき、「慎(計画は慎重に)・胆(行動は大胆に)・没(没我協調 ぼつがきょうちょう)」を遊撃精神として教育期間中、終始、頭の中にたたき込まれました。この中で、我(われ)を没して仲間と協力する、という意味の「没我協調)」という言葉を今も自分の中で大切にしています。
苦しいときこそ自己犠牲の精神をもって、自分より仲間のために何ができるのか? 仲間を大切にすることによって、自分が苦しいとき、仲間たちが支えてくれたり、背中を押してくれたりしました。(2等陸曹)
「若いうちは何でもまねろ」
訓練計画の作成が深夜になってもなかなか終わらず窮していたときに上司から、「“学ぶ”は“まねる”が語源なのだから、若いうちは何でもまねろ」と言われました。当時自分の考えに固執して迷走していたので、過去に学ぶ大切さに気付くことができました。(2等陸佐)
「お前がやらなきゃ、誰がやるんだ」
自衛隊で最も過酷といわれるレンジャー教育(注)の体力錬成中に、教官に言われて自分の甘さに気付かされた一言です。「おまえにしかできない」という意味のこの言葉を、今でもつらくなったら常に自分に言い聞かせています。「俺がやるんだ」から「俺にしかできないんだ」という気持ちに変えることで今もさまざまな訓練の励みになっています。(2等陸曹)
(注)レンジャー教育:敵地への潜入、襲撃・伏撃の手段としての高い射撃、警戒する敵の隠密処理、爆破および偵察などの能力を有し、厳しい状況下で長期間任務を遂行できる隊員を育成する教育のこと。
(MAMOR2021年4月号)
※写真は全てイメージで文章の内容とは関連していません
<文/MAMOR編集部 撮影/近藤誠司>