パイロットを目指す海自隊員は小月航空基地で初めて大空を飛ぶ。最初は飛行もおぼつかないひな鳥は、教官の指導のもとたくましい若鷲となってここを巣立っていくのだ。
50年以上もの歴史を誇る海自航空教育の故郷
山口県下関市にある海上自衛隊小月航空基地は戦前、旧逓信省の飛行場として開場し、その後旧陸軍、進駐軍の接収の後、1964年より海自小月派遣隊へと移管。翌65年から小月教育航空群が新編された。海自でパイロットを目指す者は必ず小月航空基地で教育を受ける。
全国15カ所ある海自の航空基地で働くパイロットたちもここで鍛えられ、ひな鳥からたくましい若鷲となって旅立っていった。昔も今も、小月は海自の航空教育の故郷なのだ。
海自の全てのパイロットが通る場所
小月教育航空群には、司令部、小月教育航空隊、第201教育航空隊、第201整備補給隊、小月航空基地隊の5つの部隊が所在している。このうち小月教育航空隊は、幹部学生および航空学生に対し座学を中心とした基礎教育などを担当。ここを修業した学生は第201教育航空隊で練習機T−5を使った操縦訓練を行う。基地内には全長1200メートル、900メートルの2本の滑走路を有している。風向きによって違う方向から離着陸できるよう、2本の滑走路が平行ではなく交差している。
海自でパイロットになるには、小月教育航空隊で基礎教育などを受けた後に飛行実技を教育する第201教育航空隊で約4カ月の操縦士基礎共通課程を経て、固定翼、回転翼の操縦士、航空機内で戦術を組み立てる戦術航空士へと分かれる。修業後、固定翼操縦士は徳島航空基地の第202教育航空隊、回転翼操縦士は鹿屋航空基地の第211教育航空隊、戦術航空士は下総航空基地の第203教育航空隊へとそれぞれ進み、より専門的な知識と技能を取得する。最終的にはウイングマーク取得を目指す。
海自の操縦士は例外なく小月航空基地で航空機搭乗員としての基礎を叩き込まれる。毎年航空学生約70人、幹部学生約30人がこの地で教育を受けるが、夢破れて進路を変更する者も出る厳しい道だ。
学生2人に教官1人がつきみっちりと操縦術を指導
パイロットを目指す者にとって最初の目標でありハードルでもあるのは、実機を使った実技飛行訓練だろう。座学中心の小月教育航空隊を修業した学生は第201教育航空隊へと進み、9カ月にわたって練習機T−5に搭乗して操縦訓練を受ける。訓練は17週におよぶ「操縦士基礎課程」から始まる。
T−5を使った飛行訓練は飛行前の全体ブリーフィングから始まり、ここで当日の気象状況や訓練内容などが確認される。飛行前は教官の監督のもとで機体の各パーツの確認、計器類などさまざまなチェックを学生同士で行う。飛行中は学生1人が機長席、教官が副操縦席に座りマンツーマンで指導。学生が後部座席に同乗し、その指導を見ることもある。最初は安定して飛ぶだけでも難しい。上空での風や気流も予報と異なることも多く、経験の浅い学生はかなり苦労するそうだ。
学生にとって最大のハードル、ソロフライト検定に挑む
フライトの基礎が身に付き、操縦に余裕が生まれてきたころ、学生にとって最大の難関として立ちはだかるのが「ソロフライト検定」だ。ソロフライトは教官が同乗せず学生がT−5を操縦する訓練で、この検定試験に合格できず不合格が続けば、そこで脱落してしまう。不安、緊張、興奮などでいっぱいになりながら、学生はソロフライト検定に挑むのだ。
ソロフライト後は、急旋回や曲技などの特殊飛行を学び、その後固定翼、回転翼、戦術航空士とそれぞれの道に分かれて新たな歩みを始める。現場部隊で経験を積み、教官として再び小月航空基地に戻ってきたいと願う学生も多くいるそうだ。
群司令が語る、精強な搭乗員の育成
学生の夢を諦めさせない教官たちで全力で支える
【小月教育航空群 群司令 1等海佐 坂本太郎】
小月航空基地の任務は全て「精強な搭乗員の育成」につながると群司令の坂本1佐は強調する。
「ウイングマークを取得して幹部搭乗員になるまでの道のりは極めて厳しく、飛行学生は過酷な教育訓練に臨まなければなりません。学生には夢を実現するために自分自身に勝つこと、そして同期の絆を深めること、この2点を要望しています」
教官に対しては、「航空機の操縦は危険が伴うので、常に厳しく、しかしその中に愛情を持って学生を指導する」よう伝えているそうだ。
坂本1佐の指導方針は「明朗闊達」。航空機の搭乗員は命を預かる仕事だけに常に緊張を強いられる。ともすれば心の余裕を失いがちだ。学生、教官、彼らを支える隊員全員が、朗らかに真剣に教育に従事していこうという思いを込めた一言だ。
(MAMOR2021年3月号)
<文/古里学 写真/長尾浩之>