• 泳ぐことと戦うこと。意外にもこの二つには密接な関係がある。歴史から紐解いていこう。日本では、武士の時代から、泳ぎは戦闘技術として取り入れられていたようだ。また、世界の歴史に目を転じても、はるか昔から、戦うスイマーはいたという。そもそも人類は、いつごろから泳いでいたのかについて解説する。

    古墳時代の日本人は海に潜って獲物を取っていた

    エジプトのサハラ砂漠にある古代遺跡「スイマーの洞窟」に描かれている「泳ぐヒトの姿」。これを見ると、水泳はまさに人類の歴史と共にあることが分かる(出典/Roland Unger)

    ヒトが初めて泳いだのはいつか、はっきりとした起源は分からないものの、歩く、走る、投げると同じく、「泳ぐ」も人類が誕生したときから持っていた身体能力の1つだと思われる。

    最初は海や川、湖などに生息する魚介類や海藻類を採集するために泳いだり潜ったりしたのだろう。人類の泳ぎが初めて記録として残されたのが7000年前ごろで、エジプトの洞窟の壁画にヒトが泳いでいる姿が描かれている。

    公益財団法人日本水泳連盟の元評議員で、武士などが海や川で移動したり水中での戦闘のために編み出された日本古来の泳ぎ方である「日本泳法」の神伝流り師範である今村昌明氏は、「約6万年前に、発祥の地アフリカから移動を始めた人類は、4万~5万年前に東南アジアに到達し、そこから果敢に大海原に乗り出した一群が、約3万年前に南西諸島の島々を経て日本列島へと上陸したと推測されます」と解説する。

    3世紀末に中国で書かれた『魏志倭人伝』(注1)には、当時の日本人は魚やアワビなどを取るのが好きで、深く潜っていたと書かれている。つまり日本人は古代より、泳ぎが得意な民族だったと思われるという。

    (注1)中国の正史『三国志』の一部で、3世紀ごろの日本人(倭人)の生活や風俗を伝える 

    ギリシャのスパルタでは軍事訓練で水泳がマスト

    イングランドのバースにある古代ローマの水浴場。周囲の柱の土台部分より上層の建物は後世の再現(出典/Diliff)

    やがて各地で文明が発生し、共同体が国家へと拡大するとともに、軍隊も誕生していく。それにつれて水泳は、食料獲得のためのものから、兵士にとって必要な戦闘技術の1つとなっていった。

    3000年前ごろの古代アッシリア(注2)の王や兵士を記録したレリーフには、浮き袋を抱えてユーフラテス川を泳いでいる姿が残されているし、古代ギリシャのスパルタ(注3)でも軍事訓練で水泳が義務とされていた。

    (注2)現在のイラク北部にあたる地域を中心に繁栄した古代文明・国家。強力な軍隊を持っていたといわれる 

    (注3)古代ギリシャのペロポネソス半島南部にあった軍国主義都市国家。過酷な軍事訓練を課す「スパルタ教育」で知られる

    一方で、古代ローマでは市内のあちこちに水浴場が建造され、温水プールまで造られるなど、娯楽としての水泳も普及していたようである。

    日本でも、『古事記』(注4)や『日本書紀』(注5)に泳ぎに関する記述があり、職業軍人である武士階級が台頭してくると、『平家物語』(注6)や『源平盛衰記』(注7)などの戦闘シーンにも泳ぎの記述が現れる。四方を海で囲まれ河川が多くある日本の自然環境において、水泳は武芸十八般の1つ「水術」として武士に欠かせないスキルになっていった。

    (注4)712年に完成した、日本現存最古の歴史書で、日本の国の成り立ちが描かれている

    (注5)720年に完成した、日本最古の勅撰(天皇の命による)正史で、古代日本を知るための重要史料

    (注6)鎌倉時代に成立した、作者未詳の軍記物語で、平家一門の栄枯盛衰が描かれている

    (注7)鎌倉時代末期から南北朝期に成立した、『平家物語』の異本の1つで作者は未詳

    また、瀬戸内海や九州の漁師や海運業を営む者の中から海賊やその襲撃から警護する集団が登場し、戦国時代には武装集団である「水軍」となって、海上の軍事組織として大名たちに雇われていった。

    なかでも尾道、今治周辺を拠点として瀬戸内海の制海権を握っていた「村上水軍」は、毛利家の海上戦力として織田信長軍を破るなど最強の水軍といわれた。

    徳川家康は自ら水練に励み吉宗時代に各流派が多数誕生

    日本最古のプールといわれる「水練水馬池」。現在は復元された会津藩校「日新館」の中に、水練水馬池も復元されている(写真提供/今村昌明)

    自らも豊富な実戦経験をもつ徳川家康は、水泳と騎馬は大将であっても習得せねばならない武芸であると周囲の家来に語って生涯水練に励み、69歳になっても故郷駿河の川で泳いで見せるほどの腕前だった。

    また自分の子どもたちにも水練の手ほどきをしていたという。その後、戦乱の世は終わりを告げ、家康のような実戦経験のある武士は存在しなくなるが、8代将軍吉宗は家康の遺訓を守って水練を奨励する。その影響で、各藩に水練の達人が多く現れ、やがて日本泳法の各流派が誕生していく。

    会津藩の藩校の庭には、日本最初のプールといわれる「水練水馬池」があり、ここで水練と水中での騎馬訓練を行っていたようだ。現在でも13の流派が、日本水泳連盟公認の日本泳法として全国各地で継承されている。

    (MAMOR2026年7月号)

    * * *

    <文/古里学>

    ー国防のスイマーたちー

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

    * * *

    This article is a sponsored article by
    ''.