自衛隊の前身である「警察予備隊」はどのような歴史の流れの中で生まれたのか? その契機となったのは、1945年に日本がポツダム宣言を受諾した後に行われた連合国の占領政策だ。
占領政策の始まりや、その後の転換について、元防衛大学校の准教授・相澤輝昭さんに解説していただく。
連合国による占領政策と日本の「非軍事化」

1950年の警察予備隊発足、1952年の保安隊創隊を経て、1954年に陸上自衛隊が創隊された。 陸上自衛隊ホームページより(https://www.mod.go.jp/gsdf/about/history/#section02)
「自衛隊史」の前史として、第2次世界大戦の最末期の1945年7月に、アメリカ、イギリス、中国の政府首脳の連名で日本に無条件降伏を勧告した「ポツダム宣言」の受諾を経ての連合国による占領政策について述べてみたいと思います。
占領政策の当初の目的は、一言でいえば日本の「非軍事化」であり、旧日本国軍の武装解除、戦争犯罪人の処罰、軍国主義の追放、軍需産業の解体などの施策がとられました。
これを受け、旧陸・海軍は45年11月に解体され、兵員の召集を解き兵士を帰郷させる「復員業務」を担当する第一、第二復員省が設置されます。このころから、旧陸・海軍軍人の一部がそれぞれ陸・海軍の再建に向けて極秘裏に動き始めるのです。
「自衛隊史」と占領政策の関係については、さらに「憲法第9条」の制定過程と、その後の解釈の変遷も押さえておく必要があるでしょう。ポツダム宣言を執行するために日本の占領政策を実施した連合国軍最高司令部(GHQ)の司令官マッカーサーの当初の方針案では、「自国の安全を保持するための手段としての戦争」を含む全ての戦争を放棄、というものでしたが、これにはGHQ民政局次長など実務担当者間でも異論があり、後のGHQ憲法草案から除かれることとなります。
また、日本側の憲法審議過程では、第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」と加えた「芦田修正」が、自衛権を担保した措置であったといわれています。ただし日本政府は「芦田修正」が自衛力を保持する根拠という説明はしておらず、「自衛のために必要最小限度」の実力の保持は憲法上許されるという立場です。
米ソによる冷戦と連合国の占領政策の転換

1952年4月、海上警備隊発足 自衛艦隊ホームページより(https://www.mod.go.jp/msdf/sf/about/history/index.html)
アメリカを代表とする資本主義・自由主義の西側と、旧ソ連を代表とする社会主義・共産主義の東側の「東西の対立」は、第2次世界大戦末期の45年2月の「ヤルタ会談」(アメリカ、イギリス、旧ソ連の連合国首脳による戦後処理に関する会談で、クリミヤ半島のヤルタで開催された)で、すでにその兆しが見受けられますが、一般的にも冷戦が強く意識されるようになったのは、46年3月のイギリス元首相チャーチルのいわゆる「鉄のカーテン」演説からといわれています。
そうした中で連合国の占領政策も、日本の「非軍事化」から「対共産主義の防壁」とすべく転換を迫られることとなります。それを具体的に示した文書が、48年10月にアメリカ国家安全保障会議(NSC)が策定した「NSC−13−2」であり、ここでは日本再軍備への方針転換がはっきりとうたわれています。
東西冷戦の影響はアジアにも及びました。中国大陸においては、中国国民党と中国共産党が中国の支配権を巡って争った「国共内戦」を経て、49年10月、中華人民共和国が建国され、翌50年6月には「朝鮮戦争」が勃発します。
朝鮮戦争は日本の戦後史に大きな影響を与えましたが、特に「自衛隊史」との関連では、再軍備の直接的な契機となった同年7月の「マッカーサー書簡」が注目点といえるでしょう。朝鮮戦争が始まると、日本に駐留していたアメリカ軍が朝鮮半島に派遣されたため、日本の駐留軍の間隙を埋め日本国内の治安を維持すべく、「7万5000人の国家警察の予備員を新設し、海上保安庁定員(当時許可されている総数)に8000人を付加する」というもので、これに基づき同年8月に警察予備隊が、52年4月に海上警備隊が創設されるのです。
なお、前述のNSC−13−2には、日本に国内治安維持を目的とする警察軍を創設する構想も示されており、こうした形での再軍備は、占領軍として既定方針であったことがうかがえます。
【元防衛大学校 防衛学教育学群 准教授 相澤輝昭】
海上自衛官として掃海艦『はちじょう』の艦長などを務め、退官後は、外務省アジア大洋州局地域政策課専門員、笹川平和財団海洋政策研究所特任研究員を歴任。2020年より現職で、専門は自衛隊史など
●憲法第9条
日本国憲法第9条は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を定めた平和主義条項。
●芦田修正
1946年8月、憲法改正草案を審議する日本政府憲法改正小委員会において、委員長の芦田均が行った修正。第1項には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあり、第2項を「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と修正した。
●自衛権
外国からの武力による差し迫った侵害に対し、自国を防衛するため必要な武力を行使する国際法上の権利のこと。
●「鉄のカーテン」演説
イギリスの元首相チャーチルが行った演説の一節、「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが下ろされた」から名付けられたもので、旧ソ連が東ヨーロッパ諸国の共産主義政権を統制し、西側の資本主義陣営と敵対している状況を非難したもの。
●朝鮮戦争
1948年に、北には朝鮮民主主義人民共和国が、南には大韓民国が誕生し、南北に分断された朝鮮半島で、50年6月に勃発した戦争。アメリカが南を支援、中国が北を支援して参戦。53年に北緯38度線で休戦協定が成立したが、南北はいまだ分断されたまま対立が続いている。
(MAMOR2026年1月号)
●本稿は著者の個人の見解です
※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

