•  太平洋戦争を戦い抜き、多くの命を救った旧日本海軍の駆逐艦『雪風』。実話を基に製作された映画『雪風 YUKIKAZE』が、戦後80年となる2025年8月に公開した。

     この作品には、防衛省・海上自衛隊が協力し、自衛艦を使ったロケはもちろん、俳優たちの撮影前研修にも深く関わっている。マモルだからお伝えできる、より映画を楽しむための、自衛隊と『雪風 YUKIKAZE』のトピックスをお届けしよう。

    映画『雪風 YUKIKAZE』の試写を観た現役海上自衛官艦艇乗りはこう感じた!

    画像: 映画の撮影に協力した護衛艦『ちくま』。その4人の乗組員たちが、試写を観た感想をざっくばらんに話してくれた

    映画の撮影に協力した護衛艦『ちくま』。その4人の乗組員たちが、試写を観た感想をざっくばらんに話してくれた

    「『普通の国がいい』という思いは、昔の軍人も今の自衛官も変わらないのだな、と感じました」(水測員/山本海士長)

    「乗組員の全員が、できることを精いっぱいやって任務を達成しようとする点は、とても共感できました」(通信士/今3等海尉)

    「『雪風』の外観と発光信号の撮影で協力したので、そのシーンを観ることができ、感無量でした」(艦長/野村2等海佐)

    「仲間を思う強い気持ちが伝わる内容で、現役先任伍長として見習うべき姿がありました」(先任伍長/野澤海曹長)

    映画『雪風 YUKIKAZE』撮影秘話を公開しよう!

    ●護衛艦『やまぎり』の見学をした際、主演の竹野内さんは狭い艦内での日常生活にとても興味を持っていたという証言が。

    ●艦長役の竹野内さんによる、「よーそろー」などの操艦号令。これは、ややクセの強い海自OBの元艦長が録音した音声を参考にしているため、現役艦艇乗員からするとクセが強めになっているとのこと。「かえって味があっていいですね」とは某隊員の話。

    ●先任伍長役の玉木さんは、過去に旧日本海軍や海自の艦長、乗組員役を何度も演じている。そのため「敬礼がとてもきれいですね」と現役隊員は口をそろえる。

    第1術科学校に今も残る『雪風』のいかりと舵輪

    画像: 主びょうは、第1術科学校内に建つ「教育参考館」の横に屋外展示されている 写真/広田勇介

    主びょうは、第1術科学校内に建つ「教育参考館」の横に屋外展示されている 写真/広田勇介

     広島県・江田島にある海上自衛隊の第1術科学校に、『雪風』のいかり(主びょう)と舵輪が展示されている。

     戦後『雪風』は、復員輸送を終えると、賠償艦となって中華民国に引き渡されたが、1969年の台風によって破損すると解体された。当時国内では『雪風』を返還してもらい保存しようという計画があったため、いかりと舵輪が返還されたのだ。

    画像: 舵輪は「教育参考館」内に展示。『雪風』の一部は、江田島に永久保存されているのだ

    舵輪は「教育参考館」内に展示。『雪風』の一部は、江田島に永久保存されているのだ

     第1術科学校では一般見学を実施している(詳細は公式SNSを参照)が、映画公開に際し、企画展示などの情報発信も行う予定とのこと。ぜひチェックしてほしい。

    公式SNSはこちら

    自衛隊にも『ゆきかぜ』という名の護衛艦があった

    画像: 海自の護衛艦『ゆきかぜ』 出典/Wikimedia Commons

    海自の護衛艦『ゆきかぜ』 出典/Wikimedia Commons

     海上自衛隊の艦艇には、『ゆきかぜ』という名の護衛艦もあった。

     戦後初の国産護衛艦、『はるかぜ』型の2番艦として、1955年8月に進水、翌56年7月に就役したのが護衛艦『ゆきかぜ』だ。

     74年には「第十雄洋丸事件」(東京湾上でLPGタンカーが衝突、炎上した)で海没処分を行うため、砲撃を実施するなど活躍。85年に除籍され、翌86年8月、能登半島沖で標的艦として海没処分された。

    (MAMOR2025年9月号)

    <文/臼井総理 写真提供/防衛省>

    『雪風 YUKIKAZE』の熱き先任伍長に注目!

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです
      

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