• 「停戦」、「休戦」、「休戦」。ニュースでよく耳にする言葉ですが、一体どう違うのでしょうか?

     マモルの広報アドバイザー・志田音々さんがインタビュアーとなり、防衛研究所国際紛争史研究室長を務める千々和泰明さんに「戦争の終結」について教えていただきました。

    【志田音々さん】
    1998年、埼玉県出身。2023年から防衛省広報アドバイザー(注1)を務める。縦読みショートドラマ『こないでコウノトリ』(制作/GOKKO)に出演

    【千々和泰明さん】
    1978年、福岡県出身。防衛研究所教官、主任研究官などを経て、2025年から同研究所国際紛争史研究室長。著書に『戦争はいかに終結したか』(中央公論新社)など

    停戦、休戦、終戦、何が違うの?

    画像: 1945年9月2日、東京湾上の戦艦「ミズーリ」甲板にて、日本を代表して降伏文書に調印する重光葵外務大臣            出典/Wikimedia commons

    1945年9月2日、東京湾上の戦艦「ミズーリ」甲板にて、日本を代表して降伏文書に調印する重光葵外務大臣            出典/Wikimedia commons

    志田音々(以下、「志田」):今年は第2次世界大戦終戦から80年だそうですが、近ごろ「暫定停戦」とか、「休戦案」などの言葉をニュースでよく耳にします。「終戦」、「停戦」、「休戦」ってどう違うのでしょう?

    千々和泰明(以下「千々和」):「休戦」は国際法で戦闘を一時停止する合意のことで、英語では「Armistice」。「停戦(Ceasefire)」も同様に敵対行為をやめる合意で、意味はほぼ同じです。

     片方が一方的に休戦を告げた場合は「Pause」と言い、一次的な休止という意味合いが強いですね。例えばミャンマーで起きた大地震では、民主派勢力が2週間の一時休止を発表しました。

     また紛争が続くガザ地区に人道支援物資を運び入れるため一定期間戦闘を中止するような場合は「暫定的停戦(Temporary ceasefire)」とも言っています。

    志田:第2次世界大戦は1945年8月15日が終戦日ですよね?

    千々和:日本ではそう思われがちですが、実は終戦の日は4つあるんです。

     15日は、連合国(注2)が無条件降伏を勧告したポツダム宣言を日本が受諾したという、昭和天皇の玉音放送(注3)が流れた日ですね。15日以降は、連合国からの攻撃はおおむね停止しましたが、実際に受諾を決定したのは前日の14日です。

     さらに日本が戦艦「ミズーリ」号の艦上で降伏文書に調印したのが9月2日。そして4つ目はその6年後の51年9月8日に、サンフランシスコ講和条約(注4)を結んだ日になります。これで日本は国際社会に復帰し、本当の意味での戦争終結ということになります。

    志田:「終戦」と一言に言っても、いろんな意味があるんですね。

    千々和:旧ソ連はポツダム宣言受諾後も戦闘を続け、北方領土を占領しましたから、完全な戦争終結には至っていなかったんです。

    画像: 1951年に行われた朝鮮戦争の休戦協議。国連軍の代表者と北朝鮮の代表者が出席し、停戦の条件などをめぐる交渉が行われた 出典/Wikimedia commons

    1951年に行われた朝鮮戦争の休戦協議。国連軍の代表者と北朝鮮の代表者が出席し、停戦の条件などをめぐる交渉が行われた 出典/Wikimedia commons

    志田:停戦と同時に、講和条約を結ぶのは難しいのでしょうか?

    千々和:戦争終結には複雑な政治や経済問題が絡み時間がかかるのでそれらは講和条約で処理し、まず戦闘を止めるのが休戦や停戦の役割です。

    志田:じゃあ、講和条約があればずっと平和が続くのでしょうか?

    千々和:そうとは限りません。サンフランシスコ条約以降は日本と連合国48カ国との間では平和が続いていますが、1919年、第1次世界大戦後に連合国とドイツの間でベルサイユ条約が結ばれましたが、20年後に再び戦争が起こりました。

     一方で韓国と北朝鮮の間で起きた朝鮮戦争は、53年に休戦協定が結ばれましたが、そのままの状態が70年以上続いています。

    志田:韓国と北朝鮮の戦争は、まだ終わっていないんですね。戦争を終結させるには、どんなケースが考えられますか?

    千々和:歴史上、世界でおきた戦争の終結には、大きく分けて2つのパターンがあります。『紛争の根本的な原因を取り除く』か、『対立が残っていても妥協して戦闘をやめる』かです。

     前者の例が第2次世界大戦で、日本やナチス・ドイツといった国家体制そのものを崩壊させることで将来のリスクを完全に排除しようとしました。

     後者の例がベトナム戦争です。アメリカ軍は圧倒的な軍事力を持ちながらも73年に撤退し、パリ和平協定が結ばれた際にも、北ベトナムと南ベトナムのイデオロギー対立はそのままでした。いずれの方法にも代償と課題があります。

    志田:戦争は、“始めるより終わらせるのが難しい”と何かで読みましたけど、本当にそうですね。各地の戦争が一日でも早く終わることを祈ります。ありがとうございました。

    (注1)防衛省・自衛隊の各種広報活動に協力することを目的として2023年に設けられた制度のこと 

    (注2)第2次世界大戦において、ドイツ、イタリア、日本などの枢軸国と敵対した、アメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連、中国など26カ国のこと

    (注3)1945年8月15日正午に昭和天皇がラジオを通じて、日本の降伏と第2次世界大戦の終結を国民に伝えた放送のこと

    (注4)第2次世界大戦の連合国と日本の講和条約。日本に対する占領の終結と主権回復を認める内容で、領土の規定、賠償などに関しても規定されている

    <文/古里学 写真/増元幸司>

    (MAMOR2025年7月号)

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

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