•  各国の駐在武官にあたる役職を自衛隊では防衛駐在官と呼ぶ。

     赴任にあたっては防駐官本人はもちろん、同行する家族もさまざまな準備が必要だ。

     今回はインドとオーストラリアにそれぞれ赴任した防駐官ファミリーに取材。彼らは、赴任に向けて、いったいどんな準備をしたのか? どう困難を乗り越えたのだろうか?

    赴任先:インド共和国/橘1等海佐ファミリーの場合

    画像: 赴任先:インド共和国/橘1等海佐ファミリーの場合

    ●赴任期間
    2021年11月~23年6月

    ●同行者
    妻、長男(12歳)、長女(9歳)
    ※子どもの年齢は赴任時(以下同)

    ●赴任前の妻の職業
    専業主婦

    渡航準備は息子の協力が支えに。現地ではコミュニケーション力を発揮

    画像: パスキタンとの国境近くのアムリトサルに家族で出掛けたときの1枚。インドの国内旅行を重ねるごとに、家族みんながインド好きに

    パスキタンとの国境近くのアムリトサルに家族で出掛けたときの1枚。インドの国内旅行を重ねるごとに、家族みんながインド好きに

    「夫がインドの防駐官になると聞いて、当時中学1年生の息子は喜んでいましたが、小学3年生の娘は拒んでいました。私はというと『えー、本当?』というのが正直な気持ちでした」と振り返るのは、橘1等海佐の妻の純子さん。

     当時、橘1佐は東京に単身赴任していたため、出発までの約3年間、家族の準備は純子さんが一手に引き受けた。

    「着付け教室に通ったり、オンラインでの英会話講座を受けながら、現地の日本人学校への転校手続きや指定の予防接種、引っ越しの準備などを行いました。長男が手伝ってくれたのが本当に助かりましたね」

    画像: 帰国前に開かれた駐在武官夫人たちとの送別会。1年半の滞在だったが、帰国したくなくなるほど仲良くなったそう

    帰国前に開かれた駐在武官夫人たちとの送別会。1年半の滞在だったが、帰国したくなくなるほど仲良くなったそう

     最初に橘1佐が単身でインドに赴任し、約1年後に家族が渡航したそう。

    「現地では、英語力がもっとあればよかったと思う場面もありましたが、持ち前のコミュニケーション能力で乗り切れました。インドでの生活は、多くの国の方々と交流の機会があり、刺激的でした。結局家族全員がインドを大好きになって帰国しました」

    赴任先:オーストラリア連邦/太田1等陸佐ファミリーの場合

    画像: 赴任先:オーストラリア連邦/太田1等陸佐ファミリーの場合

    ●赴任期間
    2021年6月~24年3月

    ●同行者
    妻、双子の息子(共に16歳)

    ●赴任前の妻の職業
    専業主婦

    息子たちは英語を猛勉強。着付けを習ったことが赴任中に役立った

    画像: 由希子さんは各国武官の夫人たちを自宅に招き、料理教室を開催。手巻きずし作りを通して、日本の文化について歓談したそう(一番奥が由希子さん)

    由希子さんは各国武官の夫人たちを自宅に招き、料理教室を開催。手巻きずし作りを通して、日本の文化について歓談したそう(一番奥が由希子さん)

     太田1等陸佐の子どもは双子の男子。自衛官の転勤に伴い小さいころから何度も転校を繰り返し、関東に移ってようやく親しい友だちもできた矢先にオーストラリア行きが決まり、最初は2人ともショックを受けていたそうだ。

    「それでもしばらくして覚悟が決まったのか、行くからには英語をモノにすると猛勉強を始めました」と、妻の由希子さんは語る。

    由希子さんも語学学校で英語を勉強したほか、着物の着付けを習ったことが赴任中に役立ったという。

    「レセプションなどで着物を着ていると、他国の武官夫人らから写真撮影を希望され、それをきっかけに仲良くなることもありました」

    言語の壁を乗り越えた息子たちは、2023年12月に無事オーストラリアの高校を卒業したそう

    約3年間のオーストラリア暮らしを経て、達成感があったと由希子さん。

    「息子たちは大使主催のレセプションの手伝いをする機会に恵まれ、大使館スタッフや外国人招待客らとも触れ合うなど、貴重な経験を積むことができました。精神的にもタフになったと実感しています」

    (MAMOR2025年6月号)

    <文/古里学 写真提供/防衛省>

    平和を結ぶ“大使”、防衛駐在官

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

    This article is a sponsored article by
    ''.