•  世界史とは領土変遷の歴史といっても過言ではない。有史以来、世界中で多くの国が生まれ、拡張し、没落、消滅していった。

     国家はどのように領土を獲得し手放したのか。歴史学者の祝田秀全氏に世界史における領土変遷を解説してもらった。

    国内政治、宗教、経済など事情が異なる領土拡大の目的

     ひと口に領土変遷といっても、「時代やその国の事情によって領土を拡大する動機、目的が違います。小さな都市国家から時代の覇者になった古代ローマ帝国(紀元前30~西暦476年)は、ローマを中心に属州と呼ぶ領地で構成され、市民の食料確保のため領土を広げました」と祝田氏。

     それに対しイスラーム帝国のアッバース朝(750~1258年)は、イスラム教の共同体(ウンマ)の構築がベースだと祝田氏は話す。「イスラム教徒なら帝国内では人種、言語を超えて平等な権利を有し、異教徒も改宗すれば税金が免除されるなどの政策で、西アフリカからシナイ半島、現在のパキスタン付近まで支配しました」

     13世紀になり農業や工業などの生産性が向上すると、ビジネス販路を求め領土を広げる国が現れる。「騎馬の機動力を生かしユーラシア大陸を勢力下においたモンゴル帝国(1206〜1638年)です。陸路シルクロードと海上交易ルートを開拓し、商業帝国を建設しました」と祝田氏。続けて「15世紀のヨーロッパでは香辛料の需要が高まり、スペイン、ポルトガルは大西洋へ進出。海路を利用し植民地を獲得して領土を拡大しました」と説明する。

    主権国家の誕生と軍事革命、植民地の独立で領域が変化

     領土の概念と切り離せない国家と国境について、「1494年から始まる『イタリア戦争』(注1)と、1618年の『三十年戦争』(注2)の講和条約『ウェストファリア条約(1648年)』が近代の主権国家形成の契機です。これまで国の領域周辺の支配権は曖昧でしたが、神聖ローマ帝国が事実上崩壊し、各地で王族など国家元首が国境を定め統治する時代になりました。

     加えて火砲や銃器の登場で近代軍隊が誕生し、国境を守る任務に就きます。徴兵制も実施され、兵力維持の財源となる税を徴収・管理する官僚機構も整備されます。同時期にオランダの法学者・グロティウスが現在の国際海洋法につながる『公海』の概念を発表し、海は世界共通財産という考えを示したのもこの時代です」と祝田氏。

     18世紀に入りアフリカやカリブ海諸国に植民地を持つイギリスは、アフリカの黒人奴隷をカリブ海で労働者として使い、その生産物であるコーヒー、砂糖、綿花などをヨーロッパに持ち帰る三角貿易(注3)で巨額の資金を獲得し巨大資本主義国家に成長。ヨーロッパ各国もアジア、アフリカで植民地を獲得した。

     祝田氏は「植民地は19世紀から20世紀にかけて、次々に独立します。また領土間の争いの火種は、国家のあり方などを問う思想が加わりました。資本主義と社会主義に世界が二分された戦後の東西冷戦は、1989年のベルリンの壁(注4)崩壊まで続いたのです」と解説する。

     領土をめぐる争いはイスラエルとパレスチナの問題や、ロシアによるウクライナ侵略など現在も変遷が続いている。

    (注1)イタリアをめぐりフランスと神聖ローマ帝国が対立した戦争 
    (注2)ドイツ国内の宗教対立に端を発しヨーロッパ全域の国際紛争へと拡大した戦争
    (注3)西アフリカ地域、西インド諸島地域とイギリスの3地域で17〜18世紀に行われた貿易 
    (注4)1961〜89年まで旧東ドイツ内の西ベルリン地区に築かれた壁

    古代ローマ帝国(西暦14年ころ)の勢力図

    画像: 古代ローマ帝国(西暦14年ころ)の勢力図

     紀元前753年にイタリア半島の都市国家として建国された古代ローマ帝国。平民の政治に対する不満のはけ口を対外進出に求め、食料の供給先確保のため領地を拡大。北アフリカ、中東にまで支配を広げ「世界の道はローマに通ず」といわれた一大帝国になった。なおアメリカ大陸は15世紀に発見されたため地図には記載していない。

    イスラーム帝国(750年ころ)の勢力図

    画像: イスラーム帝国(750年ころ)の勢力図

     イスラーム帝国はアラブ人優遇政策をとって異民族を配下に置いた。領土が最大だったのはアッバース朝の時代(750〜1258年)で、イスラム教徒であるペルシア人を取り込んで革命を起こし、帝国の盟主に収まる。そして人種による差別を排し、イスラム教のつながりで共同体を築き領土を拡大していった。

    モンゴル帝国(1260年ころ)の勢力図

    画像: モンゴル帝国(1260年ころ)の勢力図

     中国の金を滅ぼし西へ転じたモンゴル帝国は、キエフ公国(現ウクライナ付近)を滅亡させポーランド・ドイツ軍を撃破するなど、当時最強の軍事力を誇った。その結果築き上げた交易網を商人が利用し発展。また宗教に寛容で、イスラム教徒を帝国の重要ポストに任じ、皇帝がキリスト教の行事に出席することも。

    大英帝国(1918年ころ)の勢力図(主な植民地を記載)

    画像: 大英帝国(1918年ころ)の勢力図(主な植民地を記載)

     18世紀に入りイギリスは海外領土を獲得し存在感を増していく。アメリカの独立やナポレオンの出現で一時国力は衰えるが、ヴィクトリア女王が君臨した19世紀から第1次世界大戦までの間、植民地帝国として世界中に勢力圏を拡大。最大領土面積は全世界の約25パーセントで、国際的に圧倒的な影響力を誇った。

    東西冷戦終結後(1990年ころ)の世界地図(一部の国名とソ連からの独立国の一部を記載)

    画像: 東西冷戦終結後(1990年ころ)の世界地図(一部の国名とソ連からの独立国の一部を記載)

     第2次世界大戦後、1960年代には植民地であったアフリカやアジアの国が次々と独立。またアメリカとソ連の2大国による東西冷戦は、89年のベルリンの壁の崩壊をきっかけに終結した。前後してエストニア、リトアニア、ラトビアがソ連から独立。91年にソ連は崩壊し、ロシアと14の独立した共和国となった。

    祝田秀全氏 写真提供/本人 

    【祝田秀全氏】
    東京都出身。聖心女子大学文学部講師。著書に『知識ゼロからの戦争史』(幻冬舎刊)、『地図でスッと頭に入る世界の民族と紛争』(昭文社刊)など 

    <文/古里学 写真提供/防衛省(特記を除く)>

    (MAMOR2025年5月号)

    ―自衛隊が守る日本の領空 領海 領土―

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

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