•  ウクライナとロシアの戦いを見て考えるのは、勝敗を決するのは兵器の性能と数が大きく影響するようだということ。

     長くGDP1パーセント以内に収められてきた日本の防衛費は、緊迫する安全保障環境の中で、2023年度から引き上げられました。予算を活用して装備を充実させるのが日本の急務。それを支える防衛産業の来し方行く末を考えてみる。

     今回は1820~2010年代までの日本の防衛産業の歴史を振り返ってみよう。

    日本の防衛関係費の推移

    画像: 『令和6年度版 日本の防衛――防衛白書』を元に編集部で作成

    『令和6年度版 日本の防衛――防衛白書』を元に編集部で作成

     2003年から10年間、減少傾向にあった防衛関係費は13年より12年連続で増加。日本を取り巻く安全保障環境の変化が主な要因だ。

     かつてはビジネスとして成り立たず、国防の志で支えられている、とまで言われた日本の防衛産業。防衛費予算が増えたとはいえ、まだまだ課題は多い。そこで、これまでの歴史を振り返り、そこから浮かび上がる将来の展望を防衛省防衛研究所の小野圭司研究官に聞いた。

    1820年代~:明治期の近代化から始まる日本の防衛産業の夜明け

    画像: 1871年から1935年まで現在の東京都文京区で小銃類を生産していた旧軍の「陸軍造兵廠東京工廠」 図版/『大東京名所繪はがき集』(主婦之友社刊)より

    1871年から1935年まで現在の東京都文京区で小銃類を生産していた旧軍の「陸軍造兵廠東京工廠」 図版/『大東京名所繪はがき集』(主婦之友社刊)より

     小野研究官によると、戦国時代にポルトガルより伝来した火縄銃の国産化などはあったが、近代的な防衛産業の始まりは江戸時代末期から明治時代だという。

     軍隊の近代化を目指した明治政府は海外に武器を依存せず国産志向を強め、1877(明治10)年の西南戦争時には銃器・火砲類はほぼ国産化され、大型艦艇は大正時代に呉と横須賀の工しょう(軍隊直属工場)に加え、神戸にあった川﨑造船所(現・川崎重工業)と三菱の長崎造船所(現・三菱重工業)を使用し建造。第1次世界大戦時に航空機以外はほぼ国産化を達成した。

     航空機は民間主導で川﨑、三菱、中島飛行機(現・SUBARU)、川西航空機(現・新明和工業)などが開発し、昭和に入るとその技術が世界水準に達した。

    1960年代~:装備品の国産化・量産化で防衛産業が発展!

    画像: 1961年に制式化された初の国産戦車である61式戦車 写真提供/防衛省

    1961年に制式化された初の国産戦車である61式戦車 写真提供/防衛省

     太平洋戦争時も優れた飛行性能を持つ戦闘機「ゼロ戦」、当時世界最大の戦艦「大和」、汚水をろ過し飲料水にする「濾水機」など諸外国がうらやむ装備品を開発していた日本だが、終戦後は防衛産業を担った多くの企業が財閥解体などで縮小。

    画像: 海上自衛隊発足後、初の国産護衛艦として建造された初代『あきづき』型護衛艦 写真提供/防衛省

    海上自衛隊発足後、初の国産護衛艦として建造された初代『あきづき』型護衛艦 写真提供/防衛省

     1950年の朝鮮戦争によりアメリカ軍の車両などの修理を請け負う朝鮮特需が起こり、これらの企業は復活した。しかし同年発足の警察予備隊や創設期の自衛隊では、アメリカ軍の払い下げ品が使用され、装備品国産化の道はまだ閉ざされていた。

     60年代に入り装備品国産化の基本方針が国防会議で策定され、潮目が変わる。「高度経済成長期と重なり、防衛産業は活況を見せます。60年代後半には装備品がほぼ国産化され、躍進の時代でした」と小野研究官は話す。

    1990年代~:減る受注、増える有償軍事援助(FMS)防衛産業に訪れたピンチ

    画像: 新型輸送機として陸上自衛隊に導入されたV-22オスプレイは1機あたり約110億円。FMSによる装備品調達額はここ10年で10倍に増えている 写真提供/防衛省

    新型輸送機として陸上自衛隊に導入されたV-22オスプレイは1機あたり約110億円。FMSによる装備品調達額はここ10年で10倍に増えている 写真提供/防衛省

     世界の防衛産業の転換期となったのが1989年の東西冷戦の終結で、これを機に国際的に軍縮傾向が強まる。日本の防衛関係費の推移をみても、2003年度から10年連続して減少。

     13年度からは厳しさを増す安全保障環境により増額に転じる。この傾向は90年代から減産が続いていた防衛産業に明るい話題のようだが、装備品製造の高コスト化と受注数減少は変わらず、企業の利益が出にくい構造だった。

     合わせてアメリカからのFMSが増えていく。これはオスプレイや巡航ミサイルなどアメリカ軍の装備品を日本に販売する制度で、その額は14年度が約1800億円、15年度には約4400億円と急増。23年度には1兆4768億円に達した。防衛関係費は上昇したがFMSの増加で相殺され、国内の防衛産業は恩恵にあずかりにくい構図になっていった。

    2010年代~:冷戦期以降の減少傾向に歯止め!?防衛産業大復活への道

     冷戦終結以降、長らく苦境の道を歩んできた日本の防衛産業が息を吹き返してくるのが2010年代後半から。減少傾向の防衛関係費が増加し、23年度のわが国の予算は約6.6兆円で、対国内総生産(GDP)比で約1パーセント、10年連続で過去最大を更新した。

     22年2月のロシアによるウクライナ侵略の勃発や中台関係、朝鮮半島情勢など年々緊張が高まる日本を取り巻く安全保障環境から、同年12月に政府は国家安全保障政策にかかわる基本方針や中期の方向性を示した「安全保障3文書」を閣議決定し、防衛力強化の指針を示した。

     さらに防衛費の対GDP比を約2パーセントの約10兆円に上げ、23年度から5年間の防衛費総額を約43兆円にまで引き上げる方針を打ち出す。

     FMSも増えたが防衛費予算が約2倍になるため、装備品生産が減少傾向にあった防衛産業の活況化や、受注数の増加など復活への期待が寄せられている。

    小野圭司研究官

    【小野圭司研究官】
    防衛研究所理論研究部社会・経済研究室主任研究官。主な著書に『いま本気で考えるための日本の防衛問題入門』(河出書房新社)など

    (MAMOR2025年3月号)

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

    <文/古里学>

    どうなるどうする日本の防衛産業

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