•  ごく普通の若者たちが、大切な人や国の平和を守るため、日々、奮闘している姿を知ってほしいと考え、雑誌『MAMOR』は創刊当初から「自衛官」個人に焦点を当てた連載を多く掲載してきた。

     2023年10月号で200号を迎えた記念として、過去の連載で紹介した自衛官たちの「今」と、「今につながる歴史」を紹介したい。

    那須大棋3等空佐:現在は航空自衛隊幹部学校指揮幕僚課程に入校中

    指揮官を育成する航空自衛隊の幹部学校(東京都)で上級指揮官・幕僚に必要な知識や技能の習得をめざし、1年間学んでいる那須3佐 写真/Yuh

    部下から信頼される指揮官を目指して与えられた任務を遂行していきたい

    「祖父と父親が自衛官だったので、家族の勧めもあり、防衛大学校へ進学しました」と那須3佐。

    「防大時代は毎日決められたスケジュール通りに規則正しい生活を送りました。例えば、学生寮から食堂へ行く際も全員で行進していくような生活(笑)。厳しい夏季定期訓練(注1)もありました」

     防大時代、那須3佐がとくに力を入れたのが、ラグビー部での活動だ。

    「4年生のときは副将として、約100人の部員を統率して心を1つにする努力をしました」

    vol.6〜18(2007年8月~08年8月号)防衛大学校 第55期学生の青春「109号室日記」より那須大棋学生

     その一方、中隊学生長(注2)として後輩の生活指導にも携わった。

    「ラグビー部の副将や中隊学生長として、どのように後輩を指導していくか日々考えていました。ラグビー部を辞めたいという後輩にどのような言葉をかければいいのか。防大生活に慣れない1年生に対する適切なアドバイスは何か、など。人間関係を円滑にする極意について悩みながら解決する日々でした」

    防大を卒業したときの感情は?

    「最も濃密な4年間が終わったという感慨がありましたが、これがゴールではなく自衛官としてここからがスタートだと認識しました」

    入隊後に役立った防大時代の経験

     入隊後は航空機整備幹部となった那須3佐。若い隊員からベテラン隊員まで、年齢層の幅広い部隊を運営するにあたり、役立ったのが防大時代の経験だった。

    「あのとき悩み抜いた後輩への指導が、隊員たちとコミュニケーションをとるうえで非常に役立ちました。

     私の部隊での指導指針も、ラグビーで有名な『ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン』という言葉です。各隊員が一人ひとり全員のために働き、全員がチームとして1つの目標に向かって業務を遂行することが大事です」

    那須大棋3等空佐の「今」

     プライベートでは、元海上自衛官の女性と結婚。1男3女を授かった。

    「妻の献身的なサポートにより、私は任務に励むことができ、子どもはすくすくと成長しています。

     さまざまな対処で家を空けがちですが、休日は家族との時間を大事にしたいと思っています」と、那須3佐は笑顔を見せる。

     現在、幹部学校で1年間、上級指揮官や上級幕僚の職務に必要な知識、技能を学んでいる那須3佐は、「国や国民を守るという大きな使命をモチベーションにして、今まで任務を遂行してきました。

     今後は部下から『この人の命令であれば危険をかえりみずに遂行できる』と思われる指揮官になるよう、努力したいです」と語った。

    (注1)防大では学年を問わず、7月初旬から月末にかけて夏季定期訓練が実施される。1学年は体力養成に重点がおかれた遠泳訓練や射撃訓練などを実施。2学年以上は陸上要員と海上要員、航空要員に分かれ、要員ごとに本格的な訓練や演習が行われる。 

    (注2)防大の学生は入校と同時に全員、学生隊に所属する。学生隊は、4個大隊からなり、1個大隊は4個中隊、1個中隊は3個小隊で編成されている。1個小隊は約40人からなるので、中隊学生長は約120人の学生を統率する役割を担うことになる。

    松尾愛梨1等陸尉:現在は自衛隊福岡病院精神科に配属

    松尾1尉は現在、病床数200床ある自衛隊福岡病院(福岡県)の精神科看護師として勤務。写真は自衛官の健康状態を把握するため血圧を計る松尾1尉

    情勢の目まぐるしい変化に順応できる看護官として成長していきたい

     自衛隊中央病院高等看護学院時代について松尾(旧姓・水元)1尉は、「かけがえのない仲間ができて、忙しい学業の合間に寮で誕生会を開いたりして楽しい青春時代を過ごしました。

     ですが、病院実習や自衛官としての訓練には正直苦労しました」。

     卒業後は、看護師であると同時に陸上自衛官でもある「自衛官ナース」、看護官となった。

    vol.18〜29(2008年8月~09年7月号)自衛隊ナースを目指す第51期生たちの記録「看護学院日記」より水元愛梨2等陸士

    「自衛隊病院の勤務と並行して、自衛官としての訓練もあるのですが、なかでも印象に残っているのは、野外病院を想定した訓練に参加したときです。

     初任地の熊本県にある、西部方面衛生隊という部隊で応急治療を行う班に配属されたのですが、幹部に任官してから初めての訓練でした。

     病院勤務のときは、常時、上司のサポートを受けられる、守られた環境で仕事をしていたのですが、この野外訓練では、幹部として自分がしっかりしなくてはならない立場にもかかわらず、たくさんの失敗をしてしまい、指導も受けました。

     このときの失敗があったからこそ、幹部であることの責任の重さを痛いほど感じられ、また看護官として自身がいかにあるべきかを真剣に考えるようになれた貴重な経験でした」

    熊本地震の災害派遣も経験

     2016年に発生した熊本地震の災害派遣も経験した。

    「任務は、被災地域での巡回診療や患者の搬送でした。初めての災害派遣に従事することで緊張しましたが、それまでの病院勤務や訓練で積み重ねてきたことを生かすことができたと思います」

     17年に自衛官と結婚。現在は4歳と2歳の2人の娘の母親でもある。

    「娘の出産時には自衛隊の産休・育休制度を最大限に活用できました。

     復帰直後は新型コロナウイルスが流行しはじめたころで、勤務先の自衛隊熊本病院では発熱外来を開設、新型コロナに罹患した隊員を受け入れることになりました。

     そのときは、まだ未知のウイルスとの闘いの期間で、完全防護衣での看護は汗が噴き出すなど本当に大変でしたが、患者さんから温かいねぎらいの言葉や感謝の言葉をたくさんかけていただいたのがとてもうれしくて、仕事の励みになりました」

    松尾愛梨1等陸尉の「今」

     現在、松尾1尉は福岡県にある、自衛隊福岡病院の精神科看護師として勤務している。

    「精神的な援助を必要としている自衛官やその家族に対し、精神状態の評価や判断を行い、心のケアを行う診療の補助をしています。

     今後の目標は、目まぐるしい情勢の変化に順応できる看護官に成長することです」と語った。

    (MAMOR2023年10月号)

    <文/魚本拓 写真提供/防衛省>

    それぞれの自衛官ヒストリー

    This article is a sponsored article by
    ''.