•  自衛隊で部隊を率いる指揮官は、どんな思いで任務に臨み、どんな悩みを抱えているのだろう。かつて陸上自衛隊の戦車部隊で指揮官を務め、戦術指揮に関する著書を多数執筆している木元寛明元陸将補に、自衛隊の指揮官に与えられる任務や心掛けなどを、エピソードとともに聞いた。

    人命を左右する自衛隊の指揮官に求められるもの

    当時導入されたばかりの90式戦車に搭乗する木元氏。戦車部隊には指揮官用戦車があり、連隊長も1乗員として自分の戦車に乗り込む。ただし、連隊長が戦車に乗るのはセレモニー時のパレードなど、限られたときだけとか

     防衛大学校を卒業した木元氏は、陸上自衛隊入隊当初から「指揮官人生」を歩み続けた。最初の任地、富士教導団戦車教導隊では小隊長として61式戦車4両、隊員15人を率いるところからスタート。最も多くの部下を持ったのは平成の初め、北海道・北千歳駐屯地に本拠を置く第71戦車連隊で連隊長を務めたときだったという。当時最新鋭の90式戦車が真っ先に配備された部隊で、戦車73両、600人を指揮する身だった。

    「自衛隊の指揮官が一般社会のリーダーと違うのは、部下である隊員の命を預かっているということですね」。木元氏はよどみなく語る。もちろん、自衛隊でも企業や学校など一般社会の組織と共通したリーダーとしての仕事はある。人を動かし、組織を動かす。人を育てる。自衛隊では、それらに加えて「戦う」、「戦わせる」ことが求められる。

    「敵と戦え、という命令を出すのが自衛隊の指揮官です。戦うということは、場合によっては部下に『死ね』と言うのと同じです。この場所を死守して敵を通すな、という命令を出す可能性も十分あります。組織を率いるリーダーの中でも究極といえる、人の命を直接左右するのが自衛隊の指揮官なのです」

     木元氏自身、指揮官としてどうすべきかを考える中で、命を預かるという面から、部下に対する指導や命令も、戦って生き残るためのものになったと語る。

    「戦場では、指揮・命令は受け手の誤解が生まれないよう、また生き残る確率を限りなく上げられるよう、シンプルですぐ実行できるものにしなくてはいけません。戦車部隊での演習では部下に『戦車を見たら撃て』と徹底していました」

     理由は、判断のスピードにある。例えば、夜間。暗視装置で敵を見つけても、ただ明るい点にしか見えない。「これは敵か? 味方か?」と逡巡していては、先に撃たれてしまう。敵が自部隊の前に来るように、同士討ちをしないように導くのは指揮官の務めなので、戦車に乗る隊員にはシンプルに「見たら撃て」と伝えたのだという。

     ほかにも木元氏は、自衛隊の指揮官ならではの心掛けとして、次のようなことを挙げた。

    「自衛隊の指揮官は2年、長くても3年で交代します。私はその間に、1つは何か部隊に残せるものを、と考えてきました。若い後輩を後継者として育てるとか、隊員にいい習慣を身に付けさせるとか。そしてもう1つ、部隊で何か想定外なこと、特に事故や不祥事など非常事態が起きたときには、自分が矢面に立とうと決意していました」

     実は木元氏も、とある部隊で部下が事故で殉職した経験を持つ。血尿が出るような厳しいプレッシャーの中で、遺族やマスコミへの対応から逃げず、部下に任せることもなく引き受けたという。
    「大隊長、連隊長ともなると個室が与えられて、部下には“偉い人”として日ごろから立ててもらっています。それは何のためか。いざ事が起きたときに引き受けるため。私はそう思っていました」

    危険を伴う任務を命じる現場指揮官の決断と苦悩

    画像: 第71戦車連隊長当時、上官に敬礼する木元氏(写真手前左)。後方に整列するのは、戦車などの車両と1000人を超す隊員たち。北海道の部隊は冬期と夏期に部隊の練度を判定する「検閲」を受ける

    第71戦車連隊長当時、上官に敬礼する木元氏(写真手前左)。後方に整列するのは、戦車などの車両と1000人を超す隊員たち。北海道の部隊は冬期と夏期に部隊の練度を判定する「検閲」を受ける

     木元氏がかつて指揮官として一番苦悩したというエピソードがある。1988年12月、北海道の十勝岳が噴火。降り積もった雪が噴火した溶岩で溶かされ泥流が発生する可能性が高まった。そんなとき、十勝岳の麓・上富良野駐屯地の第2戦車大隊(現在の第2戦車連隊)大隊長を務めていた木元氏の元に、町からこんな要請が入った。

    「泥流が起きたときに麓の町で避難する時間を確保できるよう、山頂近くにワイヤーセンサーを張って泥流の監視装置を設置したいので、手を貸してほしい」

     いつ爆発するか分からない火山。それも雪深く、スキー上級者でもたどり着けるかどうか、という危険な場所に部下を出せるか……。木元氏はすぐに部下を集め、スキーの特技「特級」を持つ隊員を選抜し、天候などの情報収集に当たった。

    「要請が入って1~2時間ほどで『なんとかできる』と判断し、町に受諾する旨を伝えました」
      
     数日後、危険な現場へ向かったのは30人の部下と、木元氏本人。

    「私は何の作業もできないのですが、危険な現場に部下を送る以上、せめて見届けてやりたいという思いで同行しました。現場に向かった隊員の中で、私はスキーもうまくなかったですし、行く必要自体はなかったのですが」

     結果、無事にワイヤーセンサーの設置は完了。部下とともに引き揚げたその直後、十勝岳の爆発があった。

    「あと少し遅かったら、噴石などで誰かがケガをしていたかもしれませんし、場合によっては泥流に飲み込まれていたかもしれない、と考えるとぞっとしました」

     自衛隊で長く指揮官、部隊長として勤務し続けた木元氏。彼の考える「自衛隊の指揮官像」とはどういうものなのだろうか。

    「自衛隊の指揮官とは、いざというときには部下に『死ね』という命令を出さねばならない存在です。私は普段から、その命令を出せる立場に見合う人間でなくては、と自分を律していました。それだけで、おのずと背筋は伸びますし、仕事の方向性も決まっていきましたね」

     自衛隊の“ビッグボス”とは、決して奇抜で規定外の行動や判断をすることではなく、このような命令を出せる立場に見合う生き方をするボスのことをいうのだろう。

    自衛隊指揮官をデータで解説

    画像: 自衛隊指揮官をデータで解説

     ひと口に「指揮官」といっても、さまざまな立場の指揮官がいる。1人でも部下がいれば指揮官なのだ。実際に自衛隊にはどのような「指揮官」がいるのか、概要を表で紹介しよう。(マモル編集部調べ・木元寛明氏監修)

    (注1)各自衛隊の最高位者ではあるが、防衛大臣の補佐等を役割とする

    (注2)陸上自衛隊では日本列島を5つの区域に分け、それぞれに方面隊を配置している。各方面隊には師団・旅団などが配置され、師団・旅団は連隊・大隊・中隊・小隊などにより構成されている

    (注3)海上自衛隊の護衛艦隊の隷下には4つの護衛隊群があり、各護衛艦が配備されている。護衛艦には機能に応じて「機関科」、「航海科」などの科が編成されている

    (注4)海自では日本列島を5つの区域に分け、それぞれに地方総監部が配置されている

    (注5)航空自衛隊の航空総隊は日本列島を4つの区域に分け、それぞれに航空方面隊を配置している。各航空方面隊の隷下には航空団があり、その下には飛行群、さらにその下に飛行隊が置かれ、飛行隊内には小隊が配置されている。飛行主任は飛行群司令の補佐などを行う

    【木元寛明】
    軍事史研究家。防衛大学校卒業後、1968年陸上自衛隊入隊。第2戦車大隊長、第71戦車連隊長、富士学校機甲科部副部長などを歴任。主な著書に『戦争と指揮』(祥伝社)ほか

    (MAMOR2022年6月号)

    <文/臼井総理>

    自衛隊ビッグボス

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