日本全国にある自衛隊の基地・駐屯地の隊員食堂で自衛官たちはどんな料理を食べているのでしょう?ぜひ味わっていただこうとレシピを取り寄せました。今回は岩手県山田分屯基地の「はらこちらし寿司」です。トッピングはサケ、地元産イクラのしょうゆ漬けと錦糸卵。口の中でイクラがプチっと弾けて濃厚なうま味が広がります。
活気溢れる山田分屯基地
航空自衛隊山田分屯基地には、主に北海道と北東北地方の防空を担う北部航空方面隊に属する北部航空警戒管制団(以後、北警団)の隷下部隊・第37警戒隊が配置されています。分屯基地のある岩手県の山田町は、リアス式海岸を利用したカキやホタテなどの養殖が盛んな町。2011年の東日本大震災で大打撃を受けましたが、完全復興へと歩んでいます。
第37警戒隊のレーダー基地は、その山田町と宮古市の境界にある本州最東端の地・重茂半島の山「十二神山」の山頂(標高731メートル)にあります。北警団所属のレーダーサイトでは最も面積の狭い基地になります。1989年11月に更新されたレーダー装置を用いて太平洋沿岸区域および太平洋上空の警戒監視を24時間365日続けています。隊員は東北出身者が約6割を占め、そのうち岩手県出身者が半数。地元志向が強く、平均年齢は約35歳と活気にあふれた部隊です。
ご当地食材をふんだんに使った「はまこちらし寿司」
今回紹介する「はらこちらし寿司」も地元愛が大いに反映されているメニュー。イクラは宮古湾産、米は岩手県産のササニシキ、しょうゆは山田町の特産品というこだわりよう。甘さとコクのある「山田の醤油」は隊員にも絶大な人気で、基地内の売店でも販売されています。
それぞれ食感の異なる具材にしょうゆベースの味を染み込ませて酢飯と混ぜ、その上に焼いてほぐしたサケとイクラ、錦糸卵をトッピング。彩り鮮やかな盛り付けで食欲もアップ。見た目も華やかで、祝い事の料理にもぴったりです。
イクラのプチプチ食感がたまらない!
隊員たちに食べた感想を聞いてみると……
サケの小骨がしっかり除かれていて食べやすいです。給養員が丁寧にさばいてくれていることに感謝しながら食べています。
【2曹/男性・40代】
ふっくらご飯の上に、地元三陸産のイクラをふんだんにのせたちらしずしは最高! イクラのプチプチ食感がたまりません。
【士長/女性・20代】
サケとイクラの名産地宮古市出身なので、このちらしずしは楽しみの1つ。タケノコもアクセントになっておいしいです。
【3曹/男性・30代】
隊員の気持ちが温まるような食事を
給養係にもお話を伺いました。
【航空自衛隊 山田分屯基地 第37警戒隊基地業務小隊給養係 空士長 米田鎮喜】
出身は岩手県、内陸側の八幡平市です。こちらに着隊して約2年がたちました。まだまだ覚えることはたくさんありますが、充実しています。昼食、夕食は約80人分を3人体制で作っていますが朝食は約40人分を自分1人でまかなっています。大変ですが「おいしかったよ」と声を掛けてもらうと本当にうれしいです。
毎週水曜日の昼が麺の日、金曜日はカレーの日。オーソドックスなメニューですがやはり人気です。給養の職種を誇りに思っており、今後も隊員の気持ちが温まるような食事を提供していきたいと思っています。
「はまこちらし寿司」のレシピを紹介
【材料(2人分)】
ご飯:480g(茶わん約3杯分)
すし酢:大さじ4
生サケ(切り身):1切れ
<A>
シイタケの戻し汁:1カップ
しょうゆ、みりん:各大さじ2
料理酒:大さじ1
砂糖:小さじ2
和風だしの素:小さじ1/2
<B>
ニンジン(3㎝長さの細切り):1/4本
タケノコ(水煮・3㎝長さの細切り):50g
レンコン(3㎝長さの細切り):50g
干しシイタケ(スライス・乾燥・1カップ強の水で戻す):6g
かんぴょう(戻して味付けされた市販品・3㎝長さの細切り):50g
錦糸卵(市販品):30g
イクラ(しょうゆ漬け):50g
【作り方】
1:ボウルに温かいご飯を入れてすし酢を回しかけ、しゃもじで切るように混ぜ合わせ、うちわであおいで酸味を飛ばし、冷ます。
2:サケの切り身に塩少々(分量外)をふり、焼いて火を通す。皮と小骨を除き、食べやすい大きさにほぐす。
3:鍋にⒶとⒷのかんぴょう以外の材料を入れ、具材に味が染み込むまで15分ほど煮る。煮上がる5分ほど前にかんぴょうを加え、煮上がったら火を止めて冷ます。
4:①に汁気をきった③を加えてさっくりと混ぜ、器に入れ、②、錦糸卵、イクラの順に彩りよく盛り付ける。
※隊員食堂で作られているレシピをもとに編集部で家庭向けにアレンジしました。
注目食材:山田の醤油
山田分屯基地がある岩手県山田町発祥のしょうゆ。豊富な水揚げを誇るスルメイカや淡白な白身魚に合うしょうゆとして、大正時代に誕生した。甘さとコクが特徴で刺し身はもちろん、肉じゃがや煮魚の味の決め手にもなる。大正時代に作られ、一時期途絶えたものの平成時代に復活。東日本大震災の津波により、町内にあった全ての店舗は全壊したが、内陸部の工場が無事だったため“山田の復興のシンボル”とされている。
※オンラインショップなどでも購入可能
(MAMOR2021年10月号)
<調理/樋口秀子 文/富田純子 料理撮影/山田耕司(扶桑社) 写真提供/防衛省>