自衛隊を退職した“元自衛官”しかなれなかった「即応予備自衛官」。2019年に制度が改正され、自衛隊での勤務経験がない「一般公募予備自衛官」にも、「即応予備自衛官」への門戸が開かれました。仕事や学業を続けながら、常備自衛官と一緒に第一線で国防に携わろうと志すのは、どのような人たちなのでしょう?
パパは予備自衛官
「お疲れさまでした」
都内のオフィスを後にした会社員の田中貴章さんは、スーツの入ったかばんを背負い、エレベーターの1階ボタンを押した。そして右手を腕時計に伸ばし、表示をストップウオッチに切り替える。通りに出るといつもより夜風が冷たく、秋の訪れを感じた。「よし」。ストップウオッチのスタートボタンを押し、夜の街に向かって走りだす。家までの道のりは約10キロメートル。目標タイムは45分だ。
「お帰りなさい」。家に入ると、汗だくの夫を出迎えた妻の後ろから、「パパ、お帰りなさい!」と小さな息子が飛びついてきた。「ただいま。パパとお風呂に入ろうか」。「うん!」。1日の疲れを癒やす2歳の息子との入浴。しかし明日からの5日間は、この幸せなひとときを味わえなくなる。「パパね、明日からお出掛けするんだ。ママといい子で待っててね」。「パパ、どこ行くの?」。「自衛隊だよ」。
「人のため、社会のため、国のために何か役立つようなことをしたい」
中学、高校とサッカーに明け暮れたが、将来は別の道も考えていた。それは、人のために何かしたいという思いから防衛大学校に進み、自衛官になることだった。
しかし、サッカーの夢が勝り、体育大学に進学した。卒業後はフランスに渡り、フランス国内のリーグ戦に参加するチームでプレーを続けた。チームには、さまざまな国・地域からやってきた仲間がいた。子どものころからずっとサッカーを続けている自分とは違い、仲間にはこれまでの人生でサッカーから離れた期間を持つ人たちがいた。それは、フランスをはじめドイツ、フィンランド、台湾、韓国といった国・地域の出身者たち。彼らの母国には徴兵制度があったからだ(当時)。
彼らと接して話をするうちに、かつて自衛官の道を考えていたことを思い出し、「自分もいずれは、人のため、社会のため、国のために何か役に立つようなことをしたい」と思うようになった。
フランスでは2年間の選手生活を送ったが、けがで引退を余儀なくされた。日本に帰国すると、防衛省職員の語学職にフランス語の採用枠があることを知った。受験すると、2次試験までは進めたが採用には至らなかった。その後、フランス語の語学力を生かし旅行会社に入社した。日本を訪れる外国人の旅行・イベントを手配する会社で、田中さんは主にフランス語圏からの旅行客のニーズに応える旅のプランナーを請け負った。
「予備自衛官」の存在を知り……ついに開かれた自衛隊の扉
転機が訪れたのは2007年。あるサイトで「予備自衛官」という文字を見つけた。検索すると、会社員を続けながら、災害や有事の際は自衛官として活動することができるという制度だった。防衛大学校を進路に考えた高校時代、フランスで出会った徴兵経験を持つ仲間たち、果たせなかった防衛省職員の道……。
「今度こそ、人のため、社会のため、国のために役に立つことができるかもしれない」
自衛隊未経験者が予備自衛官になるための訓練生「予備自衛官補(一般公募)(注)」を受験すると、見事採用された。これまですれ違ってきた自衛隊への扉が、ついに開かれた。
しかしこの決断に、のちに妻となる当時の交際相手からはとても心配された。当時は“予備自衛官”いう存在が世間にはほとんど知られておらず、交際相手が心配するのは当然だった。「消防団の自衛隊バージョンのようなものだよ」と説明し、理解してもらった。
(注)予備自衛官補:主として自衛隊未経験の志願者が、志願試験(筆記試験など)に合格して採用。教育訓練のみを行い、教育訓練終了後に自衛官として任用される。
予備自衛官9年目、39歳でまた転機が
5日間会社を休んで、駐屯地へ。3年間でこれを10回繰り返し、計50日間に及ぶ「予備自衛官補(一般)」の教育訓練を修了。10年に「一般公募予備自衛官」に任官した。予備自衛官に任官後は、年に5日間の訓練(注)に出頭する。その間に、私生活も変化していた。14年に結婚したのだ。その後息子が誕生してからは、妻の両親に育児をサポートしてもらい、毎年の訓練に出頭した。
予備自衛官に任官してからは、毎日10キロメートルのランニングを日課にした。元々体力に自信はあったが、月額4000円、訓練に出頭すれば日額8100円の手当(注)を受け取っているという責任感から、また災害や有事で招集されたときには体が資本となるため、休日はもちろん、平日も終業後に走って帰宅する。
毎日のランニング、そして毎年の訓練出頭を続け、予備自衛官になって9年目、39歳でまた転機が訪れた。それは、「一般公募予備自衛官が即応予備自衛官になれる」という新制度ができたことだった。
(注)訓練日数は5〜20日間/年(自衛隊法には年に20日以内と定められているが、実際は年に最低5日訓練に参加すればよい)
(注)予備自衛官手当 4000円/月、訓練招集手当 8100円/日
「これまで以上に役に立ちたい」与えられた最後のチャンス
「災害や有事で、予備自衛官が担うのは主に後方支援任務だけれど、即応予備自衛官は常備自衛官(注)と同じように第一線部隊の一員として活動する。これまでの災害派遣でも、予備自衛官よりも即応予備自衛官のほうが招集実績は多い。自分も即応予備自衛官になれば、これまで以上に人のため、社会のため、国のために役に立てるかもしれない」。そう考え、「即応予備自衛官に志願しよう」という気持ちはすぐに固まった。
しかし、気になることが1つあった。それは訓練日数。予備自衛官の訓練は、年に5日間を基準とするが、最短で即応予備自衛官になるためには年に約20日間の訓練を2年続けなければならず、また即応予備自衛官になった後は年に30日間の訓練に出頭しなければならない。これまで、予備自衛官として5日間の訓練に出頭するだけでも、家族には多大なサポートをしてもらっていた。
特に、仕事を続けながら子育てをしている妻は、協力してくれながらも本音では「訓練に行かずに家にいてほしい」と思っていることを知っている。妻への負担を考え、ここ数年は「予備自衛官は40歳で辞めよう」とも考えていた矢先に訪れた“最後のチャンス”だ。
(注)常備自衛官:常駐の自衛官のことを即応予備自衛官と区別して常備自衛官と呼ぶ
家族・会社に支えられ、即応予備自衛官へ
はやる気持ちを抑えることができず、思わず妻に相談すると、もちろん反対された。妻・みずきさんは、反対の理由として、即応予備自衛官になることに対し2つの心掛かりがあるという。それは「訓練で家を空けること」と、「招集されれば、災害時などに夫がいなくなってしまう不安」。
しかし、みずきさんは続ける。「でも、夫はいつも『家族を守る』ことを第1に考えてくれています。家事は完璧にしてくれますし、貴重な休日も息子のために費やしてくれます。東日本大震災のときは、まだ結婚前の交際中で同じ職場にいたのですが、揺れが収まるとすぐに飛んできてくれました。その姿を見て、夫の『人を守ろう』という強さを感じました」。
そうやって、みずきさんは、最後には本人の強い思いを受け止め、「好きにしていいよ」と理解してくれた。そして、「即応予備自衛官になって災害などで招集されることがあるかもしれませんが、万が一のときでも冷静さを忘れずに、力を最大限に発揮してほしいです」と送り出してくれたのだ。
訓練日数が増えることで、家族の協力とともにより必要となってくるのが職場の協力だ。訓練へは仕事を休んで出頭することになるため、職場への負担を考慮し即応予備自衛官への志願を諦める予備自衛官や、場合によっては予備自衛官の退職を選ばざるを得ない人も少なくない。そんな中で、田中さんが勤務する会社の代表取締役、木下優さんは、田中さんから「即応予備自衛官にチャレンジしたい」との相談を受けると、二つ返事で了承してくれた。
「予備自衛官、即応予備自衛官は、やりたいと思っても誰もが簡単にできるものではありません。国のため、人のため、未来のために活動している田中さんを、社を挙げて応援したいと思っています」と木下さんは話す。しかし、重要な戦力である社員が抜けることに不安はないのだろうか。
そんな心配に木下さんは次のように説明した。
「田中さんの自衛隊での活動とそのための休暇取得を職員によく周知させています。休暇中にお客さまにご迷惑をかけないよう対応するには、スタッフ間での引き継ぎが必要ですが、情報を共有する上ではスタッフ同士がお互いを理解できていなければなりません。
幸い、社内では日ごろからコミュニケーションがよく取れています。急な引き継ぎではなく、この日ごろからのコミュニケーションがあるので、田中さんが訓練に行っても問題なく業務が成り立っています」
「田中さんのおかげで自衛隊がとても身近に感じました」
また木下さんは、田中さんが訓練後に話してくれる“自衛隊トーク”でスタッフ全員の自衛隊への理解が深まっているとも話してくれた。
「以前、ブルーインパルスが東京上空を飛行したときは、ちょうど会社の真上を通ったのですが、田中さんが予備自衛官をしているおかげで自衛隊がとても身近に感じました。
田中さんが即応予備自衛官になると、会社に給付金(注)が支給されるようになりますが、これは自衛隊からの、国からの大事なお金です。旅行やイベント業で海外の方と接することの多い会社なので、給付金は語学研修など日本をアピールできることに使いたいと思っています」。
理解ある家族と職場の後押しを得て、田中さんは、即応予備自衛官に応募し、採用されたのだ。現在、即応予備自衛官を目指す訓練は1年目を終え、田中さんは40歳になった。2年目の訓練は、今日がスタート。玄関で大きな荷物を背負い、靴を履いて振り返ると、2つの愛しい手が振られていた。「パパ、行ってらっしゃい」。「気を付けてね」。「行ってきます」。家族に見送られたサラリーマンは、駐屯地で迷彩服に着替え、演習場に向かうトラックに乗り込んだ。
(注)即応予備自衛官雇用企業給付金:即応予備自衛官が、年間30日の訓練および災害などの招集にいつでも出頭できる環境を整えてもらうために、雇用企業に支給される給付金
(注)即応予備自衛官育成協力企業給付金:予備自衛官補(一般)から任用された予備自衛官(一般公募予備自衛官)が、即応予備自衛官への任用に必要な知識および技能を修得するための教育訓練に安心して参加するためには、本人の意思および努力に加え、雇用企業の協力を得ることが必要不可欠であることから、雇用企業の積極的な協力を得るために、任用者1人につき支給される給付金
(注)雇用企業協力確保給付金:予備自衛官または即応予備自衛官が、防衛出動、災害派遣などに招集されたことで、平素の勤務先を離れざるを得なくなった場合に、その日数分の職務に対する理解と協力の確保に役立てるため、支給される給付金
【田中貴章氏】
たなかたかあき。1980年生まれ、神奈川県横浜市出身。大学卒業後、フランスに渡り、フランス4部リーグのサッカー選手として活動。帰国後はいくつかの旅行関連会社に勤めたのち、現在KEN株式会社(東京都台東区)に勤務し、旅行やイベント企画業務を担当する。妻と2歳の息子と3人暮らし
(MAMOR2021年1月号)
<文/岡田真理 撮影/江西伸之>