2011年3月11日。東日本を襲った最大震度7、マグニチュード9.0という観測史上最大級となる東北地方太平洋沖地震は、最大遡上高40.1メートルの津波と、それによる原子力発電所事故を引き起こし、東日本大震災と命名された未曾有の大災害となった。そんななか、大規模な災害派遣を即座に実行し、献身的な活動で被災者をはじめ多くの国民の信頼を得た自衛隊。
震災から10年が経ち、変化と進化をとげた自衛隊。もし、今、東日本大震災と同規模の災害が起こったら、どのように対処するのだろうか。そして東日本大震災の現場に向かった者、その姿を見て自衛隊を目指す者、その若手を受け入れる者それぞれの立場から、これからの災害派遣への思いを語ってもらった。
今後の大規模災害への対処を計画する担当者に聞く
関係省庁との連携を強化し訓練を重ねて計画を精査する
東日本大震災を経て、自衛隊は今後の大規模災害に対しどんな対策を考えているのか。自衛隊の一体的な行動を遂行するために計画を立て、統合運用などを行う統合幕僚監部の中村秀幸3等陸佐に聞いた。
「首都直下地震や南海トラフ地震が発災したら東日本大震災を超える被害も予想され、そうなると国土交通省や厚生労働省など関係省庁との横断的な対応が求められます。そのため統合幕僚監部では関係省庁との調整、対外説明業務を担当する総括官や参事官を新設しました。
また東日本大震災当時は、司令部でも防衛大臣の補佐など多くの業務が必要とされたため、さまざまな調整を行う運用部の副部長を新設するなどし、機能を強化しています。併せて、大規模災害への対処計画は自衛隊統合防災演習などで検証し、実効性ある計画に更新します」
より迅速に的確な支援を提供し、幅広い災害派遣活動を実行
大規模災害を想定し訓練を重ねる自衛隊だが、どのような対策を計画しているのか。中村3佐は一例を説明してくれた。「16年より自衛隊がPFI(注)契約している民間フェリー2隻をチャーターし、活用します」。
例えば『はくおう』は最大約200台の車両、約500人を乗せることができるため、災害派遣の際に装備品や人員などの大量輸送が可能だ。「個室や浴場が設置されているので、災害時に被災者の方への宿泊や入浴の支援としての活用などを考えています」と中村3佐。
東日本大震災・災害派遣に参加した隊員の思い
いきなり災害派遣の現場へ。その経験が大きな財産となる
陸上幕僚監部人事教育部の吉本賢介3等陸佐は、東日本大震災発災当時、仙台駐屯地の東北方面特科隊の小隊長だった。それまで災害派遣に参加したことはなく、いきなり過酷な現場に直面したのである。
「全てが手探りでした。私にとって初めての災害派遣活動だったため、『普通はこうやる』、『いつもなら、こうやる』ではなく、『こういう状況だから、こうやる』と、状況に応じてより良い判断ができるように意識したことを覚えています。
いつ余震がくるか分からない中、崩れかけた建物の捜索など、危険な状況にあっても隊員は必ず『私がやります』と活動を志願します。そのため隊員の安全管理を徹底しました」
その後、熊本地震、大型台風、そして新型コロナウイルスとさまざまな災害派遣活動に携わってきた吉本3佐。今までのやり方が通用しない状況下でも、何をどのようにすればよいか、自ら考え、判断、指示するようになった。
「戦闘を経験していない自衛隊において、災害派遣の実任務に携わった経験は大きな財産です。そして、任務達成には現場の隊員の力が重要であることも改めて認識しています。
今後どのような立場にあろうとも、各種計画の継続的な見直しおよび十分な訓練を行い、災害派遣を含むあらゆる任務に即応して完遂できるよう物心両面の準備を充実させ、『この人なら(自衛隊なら)なんとかしてくれる』と期待され、信頼されるよう頑張りたいです」
採用担当広報官が感じる志望動機の変化
大震災後、志望動機が変化。自衛隊の本来任務も説明
「自衛官の志望動機は公務員志望や、親族が自衛官というケースが多かったのですが、東日本大震災以降は災害現場で黙々と働く自衛官の姿を見て、人の役に立ちたい、大切な人を守りたいから目指す人が増えました。
近年は豪雨災害や雪害などの災害派遣が多く行われているので、災害派遣を動機にする志望者は増えると思います」
自衛官の募集業務を担当する福島地方協力本部の五十嵐春伸1等陸曹はそう語る。震災直後の2、3年は、8割くらいは災害派遣活動が志望動機だった印象があるそうだ。最近ではSNSなどを通じて自衛隊の活動が紹介されることもあり、自衛隊がより身近に思われていると感じている。
「もちろん災害派遣は大切な活動ですが、自衛隊の本来の任務は国を守り平和を維持することです。国際平和のために協力することです。
災害派遣などの目に見える活動だけが人を助けたり命を救うのではなく、国民が安心して暮らせるよう、目に見えない訓練や警戒、監視が平和を維持していることを志望者には説明し、自衛隊の仕事のやりがいを伝えることを心掛けています」
東日本大震災がきっかけで入隊した隊員の思い
小学生のときの被災経験が自衛官を目指すきっかけに
航空自衛隊三沢基地の第601飛行隊に所属する櫻井真人空士長は、小学校4年生だったときに仙台で東日本大震災に襲われた。公園で遊んでいてすぐに友人の家に逃げ込んだが、室内は足の踏み場もない状態だった。そして友人や親せきから自衛隊に救護や入浴などの生活支援を受けた話を聞いたり、ニュースで災害派遣活動を見るうちに、自分もいざというときに人の役に立つ仕事がしたいと思うようになり、自衛官を志したという。
「まだ自分は災害派遣に携わったことはありませんが、機会があれば率先して参加したいという気持ちは今でも変わりません」。櫻井士長は、きっぱりと語った。
テレビで見た自衛官の姿に憧れ、自衛隊の仕事に興味を持った
「東日本大震災が発災したとき、私は10歳でした。いったい何が起こっているのかと状況も分からず、テレビで見た被災地の映像にただただ衝撃を受けていました」。東日本大震災当時のことをこう話す吉田亜美1等海士。メディアから流れる災害派遣活動が、自衛隊との接点であったと自覚している。
「勇敢に救助活動に向かう自衛官の姿に憧れました。私も人を助ける仕事に就きたいと自衛官の仕事に興味を持ち、どんなことをするのかと調べたのが東日本大震災です」。今は第1術科学校で勤務している吉田1士は、現場経験を積み、災害派遣活動でも活躍できるようになりたいと日々励んでいる。
(MAMOR2021年5月号)
<文/古里学 写真提供/防衛省>