•  艦艇とはどんなものか? その歴史を振り返る。艦艇の航跡をたどると、私たちの想像を超えた、はるか紀元前の昔にさかのぼる。

     有史以来の艦艇の発展と戦い方の変遷を、海上自衛隊幹部学校部外講師、石原敬浩氏の監修の下、まとめてみた。ここでは、18世紀までの歴史を紹介する。

    紀元前~15世紀ごろ:ガレー船の誕生と戦い方「艦艇をぶつけて穴を開け、斬込隊で決着をつける」

    画像: サラミスの海戦を描いた絵画 作者/ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ(1805–1874) 出典/Wikimedia Commons

    サラミスの海戦を描いた絵画 作者/ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ(1805–1874) 出典/Wikimedia Commons

     人力でかいをこぎ、推進力にする「ガレー船」が登場したのは、紀元前3000年ごろといわれる。木造の艦体に人力、ときには補助的に帆を使って航行するガレー船は、風がなくても推進力を得られるため、比較的風の弱い地中海で生まれ発展した。

     時代とともにガレー船は大型化し、最盛期には「三段櫂船」、「五段櫂船」など、複数階にこぎ手とかいを配置した大型のガレー船も登場した。

     ガレー船の戦い方は、敵の艦艇に接げんして乗り込み、白兵戦を行うのが基本。そのため、敵艦艇に乗り込むためのハシゴのようなものが搭載された艦艇もあった。後には艦首に取り付けられた「衝角(ラム)」を敵艦にぶつけて艦体に穴を開けたり、敵のかいを破壊して航行不能にさせることも。ほかにも、投石や弓矢による射撃も行われていた。

     戦闘要員も乗船していたが、古代ギリシャやベネチアでは、こぎ手も戦闘要員を兼ね、いざというときには武器を持って敵艦に斬り込む重要な戦力であった。中世以降は、囚人や敵から得た捕虜、またイスラム圏においては異教徒(キリスト教徒)の奴隷をこぎ手にあてることも多かったという。

     ガレー船時代の代表的な海の戦いには、世界史上に残る最古の大海戦と呼ばれ、アテネの艦隊とアケメネス朝ペルシアの艦隊が激突したペルシア戦争中の「サラミスの海戦」(紀元前480年)が挙げられる。両軍合わせて1000隻規模の艦艇が戦い、数の上では劣勢だったアテネ連合軍が大勝利を収めた。

    15~18世紀ごろ:帆船の誕生と戦い方「大航海時代に大活躍!大型帆船『ガレオン船』」

    画像: 第1次英蘭戦争(1652~54年)における最後の大規模戦闘、「スヘフェニンゲンの海戦」(1653年)の模様を描いた絵画 作者/ヤン・アブラハムス・ベールストラテン(1622–1666) 出典/Wikimedia Commons

    第1次英蘭戦争(1652~54年)における最後の大規模戦闘、「スヘフェニンゲンの海戦」(1653年)の模様を描いた絵画 作者/ヤン・アブラハムス・ベールストラテン(1622–1666) 出典/Wikimedia Commons 

     15世紀半ばから始まった「大航海時代」では、帆船が大活躍した。ポルトガルやスペインなどを中心に、アフリカ、インド、アジア、アメリカに探検家を派遣したり船団を送ったりして、世界中に交易先を求め、植民地の拡大が行われた。

     外洋まで進出して航海を行う船は、手でこぐガレー船ではなく、「帆船」が中心だった。3本のマストをもつキャラベル船、3、4本のマストを持ち遠洋での航海を前提に作られたキャラック船がさかんに用いられたが、16世紀ごろから大型でたくさんの大砲を積むことのできる「ガレオン船」がスペインで登場した。

     ガレオン船は4、5本のマストをもち、小さく突き出た船首甲板と大きく突き出た船尾甲板がある帆船で、細長く喫水が浅いので速度が出た。たくさんの荷物が積めることで海運にも用いられたが、多数の砲を搭載した軍船としても活躍している。

    画像: 船上で戦う海賊を描いた絵画。大航海時代では、正規の海軍軍人と海賊の明確な区別はなかった 作者/ジーン・レオン・ジェローム・フェリス (1863-1930) 出典/Wikimedia Commons

    船上で戦う海賊を描いた絵画。大航海時代では、正規の海軍軍人と海賊の明確な区別はなかった 作者/ジーン・レオン・ジェローム・フェリス (1863-1930) 出典/Wikimedia Commons

     このころの戦いは、射程の短い大砲の撃ち合いがメイン。当時の炸薬(炸裂する火薬)が入っていない砲弾では、着弾しても敵船に穴を開け、マストを折るのが精いっぱい。運良く沈められればよいが、最後は接げんしての、乗組員による銃の撃ち合い、剣の斬り合いで決着をつけることも多かった。

     時代が進むと、より砲の撃ち合いも洗練されてきて、スペインの無敵艦隊を破ったイギリスの艦隊は、ガレオン船で単縦陣(艦を真っすぐに並べて進む陣形)を組み、一斉砲撃を行うという戦術を開発するなど、1隻対1隻の戦いから、艦隊戦の様相に変わっていった。

    18世紀ごろ:蒸気船の誕生と戦い方「風や人力に頼らず航行する蒸気機関が船を変えた」

    画像: 1837年に竣工したイギリスの蒸気船『シリウス』。補助として帆を張るためのマストが2本ある外輪船。蒸気機関のみを利用して大西洋横断に成功した初めての船となった 出典/Wikimedia Commons

    1837年に竣工したイギリスの蒸気船『シリウス』。補助として帆を張るためのマストが2本ある外輪船。蒸気機関のみを利用して大西洋横断に成功した初めての船となった 出典/Wikimedia Commons

     18世紀、イギリス人のジェームズ・ワットによって、石炭を燃やして水を沸かし、水蒸気の力で駆動する近代的な「蒸気機関」が開発されると、蒸気機関を動力に使った船舶が登場する。

     当初は「外輪船」といい、船体の外側に大きな水車をつけ、それを蒸気機関で駆動する形式が主流だった。商船では蒸気船の導入が早くから行われたが、艦艇に採用されるのは遅く、19世紀中ごろになってから。

     理由は、大きな外輪が邪魔をして、げん側に取り付ける砲の数が減ることを嫌ったという理由に加え、推進力を生む大事な外輪が無防備に露出していることが問題視されたからともいわれる。

     19世紀中ごろに開発された実用的なスクリュープロペラや、同世紀末に開発された、それまでの主流であるレシプロ式機関(注1)に比べ効率的な蒸気タービン(注2)の登場によって、本格的に帆船の時代は終わりを告げた。

     蒸気タービン成立以降、燃料が石炭から重油へと移り変わり艦艇における「蒸気船」時代は、19世紀半ばから末ごろまでの短い期間に限られている。

     蒸気船時代になっても、基本的な艦艇の戦い方は帆船時代と変わらない。

     時代が進むにつれて砲の性能も向上し、威力も射程距離も上がったことから、乗組員による斬り込みで勝負を決めるよりも、長距離砲の撃ち合いに始まり、次第に間合いを詰めながら短距離砲で撃ち合って、相手の艦艇を沈める戦い方へと変わっていった。

    (注1)蒸気の圧力によってピストンを運動させる内燃機関の1つ

    (注2)蒸気の圧力によって多数の羽根が付いた軸を回転させる内燃機関の1つ

    【石原敬浩氏】
    元海上自衛官。海自幹部学校戦略研究室にて戦略論や作戦術などの教官を務めた。2024年11月に退官し、現在は同校の部外講師を務める

    (MAMOR2025年3月号)

    <文/臼井総理>

    知っておきたい国守る船の基礎知識

    ※記事内容は上記掲載号の発売時点のものです

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