•  被災地で派遣活動をする自衛官の中には、自らが被災者、また、家族が被災者という隊員も少なくなかった。

     国民を守り、助けるという任務にまい進した自衛官たちに、被災地の様子や、実際にどのような活動をしたのか? 任務にあたった自衛官たちのリアルな声をお届けしよう。

    参加隊員たちのリアルな声を聞く

    画像: 『おおすみ』で運搬した陸自の重機を大川浜に揚陸するLCAC

    『おおすみ』で運搬した陸自の重機を大川浜に揚陸するLCAC

    不測の事態にも冷静に行動できるようになった

    「輪島市の朝市地域でシャベルとツルハシを使い、行方不明者の捜索を実施。震度5強の余震が続くなかの作業で緊張しましたが、家屋の倒壊などの危険に気を配りながら、冷静に任務を行いました」<第10特科連隊情報中隊 小池宏陸士長>

    官民が協力して困難な任務を達成

    「被災地の寸断された道路や携帯電波の復旧のために、輸送艦『おおすみ』に搭載したエアクッション艇で、重機やNTT車両の運搬を実施。地震の影響で海底が隆起していて困難もありましたが無事達成」<第1エアクッション艇隊 久留須太一1等海尉>

    災害派遣を通じて隊員の対処能力の高さを実感

    「輪島分屯基地で人命救助を最優先とした支援活動を指揮しました。隊員たちは近隣住民を倒壊した家屋から救助したり、市街地で被災者の捜索・救助を行ったり、けが人の病院への搬送を実施。さらに、基地に避難する方々への毛布や食料などの配布、空輸支援物資の積み降ろし作業など……。多岐にわたる任務を行いましたが、隊員たちの対処能力の高さを実感。

     自衛隊が培ってきたその能力を、今後も国民のために維持・向上していくことが重要だと改めて思いました」<中部航空警戒管制団第23警戒隊副隊長 大出武志3等空佐>

    日ごろの訓練で培った操縦技術で任務を完遂

    「護衛艦『あさぎり』に搭載したSH-60で、支援物資の輸送などを実施。地震による地割れや隆起があるなかでの着陸、降雪など悪天候での飛行は苦労しましたが、貴重な経験となりました」<第23航空隊 佐藤正宏1等海尉>

    日ごろの訓練のおかげで被災者の救助に成功

    「全壊家屋の中から声が聞こえるものの、夜間で姿が見えない要救助者の方を、声をかけて励ましながら救助に成功。その方から感謝の言葉をいただいたときには、それまでの疲れが吹っ飛びました」<中部航空警戒管制団第23警戒隊 日比野範丈1等空曹>

    慰問演奏が被災者に届いていたことを実感

    「珠洲市と能登町の避難所で慰問演奏を行いました。道路状況が悪く、移動にかなりの時間がかかりましたが、終演後、演奏した曲を被災者の方が鼻歌で歌っていたのを見たときにはうれしかったですね」<第10音楽隊 龍揖紘一1等陸曹>

    被災者の笑顔に復興へ向かう力強さを感じた

    「避難所で野外調理用の炊事車を使用し、約150人分のおにぎりとみそ汁を調理しました。厳しい状況にもかかわらず、私が作った料理を笑顔で食べてくれる被災者を目にして力強さを感じました」<第6航空団基地業務群業務隊 福永一2等空曹>

    予備自衛官として医療支援を実施

    「普段は看護大学で教員をしていますが、予備自衛官として医療班へ合流。被災者の皆さんに少しでも医療が届けられるよう、孤立地域の地図を確認しながら巡回診療や安否確認を行いました」<予備自衛官 菊原美緒2等陸佐>

    「自衛官の雇い主は国民」という思いが強くなった

    「発災直後、SH-60で被災地周辺の原子力発電所に異常が見られないか偵察・情報収集活動などを実施。これからも自衛官として、自身が国民に貢献できることは何かを常に考えていきたい」<第23航空隊 丸橋稜1等海尉>

    地域と共助することで精神的にも強くなれた

    「輪島分屯基地へ避難した方への配給を行いました。近くのドラッグストアの店長から水や食料、生理用品、防寒用品などの必需品をご提供いただき、地域と共助することの大切さを実感しました」<中部航空警戒管制団第23警戒隊 西田圭佑3等空曹>

    寸断された悪路を徒歩で燃料輸送

    「避難所への燃料輸送を実施。雪が降る中、灯油の入ったポリタンクを両手に、寸断された道路を徒歩で運搬しました。作業中に被災者から「ありがとう」と声をかけられ、とても勇気づけられました」<即応予備自衛官 岩本一陸士長>

    災害派遣の入浴支援で仕事への考え方が変化

    「七尾市で入浴支援を行いました。被災者から「やっと風呂に入れたよ」という喜びの声を聞くうちに、人にとっての入浴の重要性に気付かされました。必死になって人助けをする!これに尽きます」<舞鶴警備隊陸警隊 苗村浩吏2等海曹>

    夜間の空輸任務を経験し技量的にも精神的にも成長

    「CH-47により、避難者や支援物資の空輸を実施。発災直後の空輸任務では、情報が少ないなかでの夜間飛行で、着陸地点の決定は困難を極めました。わずかに見える川や山を頼りに、任務を完遂」

    <中部方面ヘリコプター隊第3飛行隊 黒澤一喜1等陸尉>

    被災者の方々を思い昼夜を問わず作業

    「被災地の緊急車両のルートを確保するため、ブルドーザによって道路上の土砂やがれきを撤去。雪が降って気温も低く、凍傷などの危険もありましたが、被災者を思い、昼夜重機を動かし続けました」<第102施設器材隊架橋中隊 青木利希也3等陸曹>

    被災地の被害状況を航空機で偵察した

    「発災直後P-1で石川県の沿岸部を偵察。大規模な停電と崖崩れによる道路の寸断、家屋の倒壊、複数の火災を確認。リアルタイムで状況を司令部に送信。初の災害派遣に使命感を持って臨みました」<第3航空隊 松田和人3等海佐>

    気持ちに寄り添うケアを行った

    「医療者として、輪島中学校に設置された救護所で、避難者の切り傷、打撲、発熱などの処置を行いました。被災してストレスを抱えている方の声に耳を傾け、気持ちに寄り添えるよう留意しました」<第6航空団基地業務群衛生隊 藤本真子空士長>

    被災者のためと思うと疲労を感じなかった

    「珠洲市内で人命救助と物資輸送任務に就きました。物資輸送では車両が使えず、30キログラム以上の荷物を入れた背のうを背負って崖を登り、約10キロメートル歩いて孤立集落へ物資を届けました」<第14普通科連隊第1中隊 五十嵐大地3等陸曹>

    自分に今何ができるか考えながら行動

    「輪島分屯基地付近の被災者をツルハシやノコギリを使用し、倒壊家屋から救助。1時間ほどの仮眠しかとれない中での作業でしたが、自分は今何をすべきか、何ができるかを考えながら行動しました」<中部航空警戒管制団第23警戒隊 山田千晶3等空曹>

    被災者との触れ合いが今後の自衛隊生活の糧に

    「珠洲市の小学校で入浴支援を実施。浴場が混まないように案内をする担当となりました。被災者から涙ながらに『25日ぶりにお風呂に入れた』と言われたことが自衛隊生活の糧となりました」<第13後方支援隊補給中隊 手良向駿陸士長>

    能登半島地震、自衛隊の活動はどうだったのか? 専門家に聞いた

    画像: 能登半島地震、自衛隊の活動はどうだったのか? 専門家に聞いた

     能登半島地震での自衛隊災害派遣活動を過去の震災派遣活動と比較した、さまざまな評価や意見が巷間に飛び交っている。

     専門家は、どのような見方をしているのか、大学教授であり危機管理担当の内閣官房参与を務めた山口昇氏に話を聞いた。

    自衛隊は与えられた任務を淡々とやり遂げた

    「『災害に独自性のないものは1つもない』という意味の英語の教訓があります。発災の状況や被災地の地理的な条件、被害の実態などは、それぞれの災害によって異なるのです」

     山口昇・国際大学教授はそう話す。災害では常に「想定外」の事態が起こりうるということでもあるだろう。

     能登半島地震ももちろんそうで、このケースでは、半島という地理的な条件が被災地への支援活動を難しくしたという。阪神・淡路、東日本、熊本の地震とどう違ったのか聞いてみた。

    「能登半島地震では当初、主要な道路が寸断され、災害支援のなかでもいちばん重要な、救援物資の輸送をはじめとしたロジスティクス(物流システム)が機能しませんでした」

     そもそも、被害が甚大だった半島の先端に通じる主要な道路が通行可能であっても、大量の部隊を投入することはできなかったと、山口教授は指摘する。

    「例えば、7000人規模の隊員の投入を想定した場合、約2500両の車両が必要です。それだけの車両が1本の道に集中すると、車列は100キロメートルくらいの距離になり、現地で大渋滞を起こしてしまいます。これは災害対応としてはあってはならない事態です」

     では、派遣部隊や物資などを空路で運ぶことはできなかったのだろうか。

    「現地で大型の輸送ヘリコプターが着陸できるのは輪島分屯基地だけでした。着陸スポットとして指定されていた学校のグラウンドや港などは、着陸の安全確認に時間がかかります。

     海路での輸送も、地震で海岸が隆起し、津波で港湾施設が損壊していたため、すぐに対応できる状況ではありませんでした。発災直後にやみくもにヘリや艦艇を大量投入することはできないんです」

    初動が遅いという批判があるが…

    画像: 寸断された道路の土砂やがれきの撤去を行う陸自第10師団の隊員たち

    寸断された道路の土砂やがれきの撤去を行う陸自第10師団の隊員たち

     今回の地震については初動が遅いという批判があるが、その点についてどうか。

    「被災地である石川県の知事が自衛隊に災害派遣要請をしたのが発災の約30分後。自衛隊では、派遣要請を受ける前、発災の20分後に空自の航空機が現地を偵察していて、どちらも対応として遅くありません」

     山口教授によれば、気象庁から大地震発生の情報が出されると、自衛隊では自主派遣(注)として、航空機などで現地の情報を収集・伝達する態勢をとっているという。

    「ただし、本格的な災害派遣については、被災自治体の責任者からの要請を受けた後でないと開始できません。それは自衛隊という実力組織の暴走を防ぐため、その統制を市民の代表者が担う『シビリアンコントロール(文民統制)』の原則があるからです。

     そういう意味でも、自治体と自衛隊が、必要な手続きを踏んだ上で、かつ適時に対応したと思います」

     最後に、能登半島地震での自衛隊の対応についての評価を聞いた。

    「自衛隊は有事や災害に備え日々過酷な訓練を繰り返しています。ですので今回の能登半島地震においても『よくやった』とか、『合格点だ』などの評価は、私はしません。

     日ごろの訓練に基づき、責任感を持って与えられた役割を全うした。それに尽きると思います。隊員たちも高評価を求めて支援活動を行ってはいないでしょう。任務をやりとげることしか考えていないと思います」

    (注)自衛隊の災害派遣は都道府県知事などからの要請により派遣することを原則としている。だが、防衛大臣などが指定する者は特に緊急な事態で要請を待つ時間がないときには要請がなくても例外的に部隊などを派遣することができる。

    【山口昇】
    1951年東京生まれ。 軍事評論家。国際大学国際関係学研究科教授。防衛大学校卒業、 陸上自衛隊入隊。在アメリカ大使館防衛駐在官、陸上自衛隊研究本部長などを歴任した後、2008年陸将で退官。

    (MAMOR2024年5月号)

    <文/魚本拓 写真提供/防衛省>

    ※当記事は2024年3月6日時点における内閣官房・防衛省・自衛隊のホームページなどの情報をもとに編集しています

    能登半島地震・統合任務部隊31日間の記録

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