自衛隊の基地・駐屯地には、旧軍時代から受け継いだ古い建物が残っていることがあり、中には見学可能な施設もある。そこで産業遺産の専門家である前畑洋平氏に、自衛隊敷地内にある、後世に残したい“軍事遺産”を訪ねる仮想ツアーを企画していただいた。
産業遺産とは?
長崎県の軍艦島など産業施設や、奈良県の奈良監獄といった当時の最新技術で建設された建造物など、遺産として価値があるものを指す。現在も使用中のもの、戦争遺跡なども対象としている。
旧陸軍水槽塔など(陸上自衛隊宇治駐屯地・京都府)
明治~大正期に建てられた貴重なれんが建築が林立
宇治駐屯地は旧陸軍の火薬製造所があった場所に所在。明治~大正時代に建てられたれんが造りの建築が合計21棟残り、現在は倉庫などで使用中だ。建物のデザインが微妙に違うなど各時代のれんが建築がこれだけ残る場所は日本でも珍しいと前畑氏。
「戦後アメリカ軍に接収された宇治駐屯地ですが、耐熱性と蓄熱性に優れたれんが造りの建物は倉庫としての価値が高かったのか、そのまま使われたのでしょう。展望塔として残っている建物は、日清戦争時代に水槽塔として造られ、戦後も給水施設として使っていたという珍しいものです」
Access:京阪「黄檗駅」下車すぐ、もしくはJR「黄檗駅」から徒歩約5分
旧海軍呉鎮守府電話総合交換所(海上自衛隊呉地方総監部・広島県呉市)
戦争末期の姿を今に残す大きな地下施設の跡がある
現在の呉地方総監部には、太平洋戦争末期に作られた地下施設がある。「電話総合交換所」は、頑丈なコンクリート壁で覆われ、空襲で爆弾が直撃しても耐えられる厚さで設計されていた。
「こんなものがあったのかと驚きました」と前畑氏。これだけの地下構造がきれいに残るのは珍しい。戦時中だが良質な材料を集め、当時の技術の粋を集めて作られていることも影響しているだろう。
こちらは現在は未公開。前畑氏は「市ケ谷の防衛省敷地内にある旧大本営地下壕は一般公開されたので、こちらも皆さんに見ていただきたいですね」と語る。
Access:JR「呉駅」から徒歩約15分。または同駅よりバスで約5分。「総監部前」下車
旧横須賀鎮守府司令長官官舎(海上自衛隊横須賀基地・神奈川県)
今でも往時と同じ目的で使われていることが貴重
横須賀基地の田戸台分庁舎には旧横須賀鎮守府の司令長官宿舎として使われていた建物がある。戦後はアメリカ軍に接収され、在日アメリカ海軍の司令官などが住んでいたという。その後1969年に返還され、以後は自衛隊の迎賓や、ピアノの演奏会などに使われている。
「当時から会食や賓客を招くなど、迎賓館のような役割にも使われていましたが、今も同様の用途で使われているというのは珍しいですね。軍事遺産というと戦いの側面ばかり強調されますが、こうした平時の軍隊の姿を残しているものは貴重です」と前畑氏は語る。
Access:京急「県立大学駅」下車徒歩約10分、またはJR「横須賀駅」よりバスで約10分。「聖徳寺坂上」下車、徒歩約10分
旧海軍砲台跡(航空自衛隊那覇基地・沖縄県)
沖縄県内で唯一残っている太平洋戦争で使われた砲台跡
「これぞ軍事遺産という施設です。メンテナンスや周辺の整備もされているのがいいですね」と前畑氏もお墨付きなのが、那覇基地内の旧海軍砲台跡。太平洋戦争時にアメリカ軍の猛攻撃でほぼ全ての砲台が跡形もなく破壊されたが、奇跡的に形を残している。当時の155ミリ砲もさびてはいるが、姿を残しているのも珍しい。
「この場所にあった砲台群によって、アメリカ軍の軍艦を2隻撃沈したともいわれていて、戦争被害の悲惨さと同時に旧軍の奮闘という両方の側面を今に伝える貴重な史料だと感じました」
Access:ゆいレール「赤嶺駅」から徒歩約5分。
旧陸軍掩体壕跡(航空自衛隊小牧基地・愛知県)
かまぼこのような形をした戦闘機を守るための設備
小牧基地は、太平洋戦争末期の1944年、本土防空のために旧陸軍の小牧飛行場が設置され、戦闘機「飛燕」が配備されていた。当時、空襲から戦闘機を守るために作られた、コンクリート製の「掩体壕」が今も一部残る。
「空襲の爆風に耐えるため、かまぼこ形の不思議な形をした建物ですが、子どもにも『これは何?』と疑問に思ってもらい、歴史を知ってもらうのにピッタリです。戦後も倉庫として使われていたり、現在では自衛隊で使われていた練習機を格納していたりと、今も遺構を生かしているのも素晴らしいです」と前畑氏。
Access:名鉄小牧線「牛山駅」から徒歩約5分
【前畑洋平氏】
1978年生まれ。産業遺産の価値・魅力を広く発信し、イベントなどを企画するNPO法人「J-heritage」の代表を務める
<文/臼井総理>
(MAMOR2021年12月号)