•  軍事上、地図が持つ意味や歴史などを、軍事関係のIT、通信技術などに詳しい井上孝司氏に解説していただいた。現存する最も古いとされる世界地図は紀元前7世紀の古代バビロニアの遺跡から発掘された。以降地図は権力者の支配のツールとなり、やがて戦争には欠かせない武器となった。現代社会において、地図の持つ意味とは?

    過去の戦争で地理空間情報が戦いの行方を左右したことも

    画像: ※画像はイメージです(MAMOR6月号「隠密に情報を集め分析する技術」より)

    ※画像はイメージです(MAMOR6月号「隠密に情報を集め分析する技術」より)

     太平洋戦争中のアメリカ軍は戦地で空中写真撮影をして、耐水性の高い紙で地図を作製していた。一方、旧日本陸軍の陸地測量部は1944年に潜水艦でドイツより航空カメラや器材を入手し、戦地の地図作製を行おうとしたが、空襲の激化で45年に測量部の隊員らは松本に疎開。作製した地図も戦地に輸送することができず、やがて地図原版や設備などは空襲で焼失してしまった。

     また、海図の作製・提供を行う旧海軍水路部も、それまでは各国の水路図を管理している国際水路局の情報提供をもとに外地の海図を編集、改編していたが、39年に国際水路局を脱退したため、多くの職員が水路の測量のため南方に赴く必要が生じ、海図の作製に遅れが生じた。その間にアメリカ軍は、日本本土を測量専用機で空撮し、防空装備や飛行場、軍需工場などの攻撃目標を特定していった。井上氏によると、こうした地図情報の差が戦果の行方に影響をもたらしたケースは少なくないという。

     現在、地図は、単に地形図を紙などの平面に印刷したものから、その地図上の地点と関係のあるさまざまな情報、データを関係づけた「地理空間情報」へと進化している。例えば大雨の河川の氾濫地域の予想を示したハザードマップなども地理空間情報を利用したものである。現在の情報本部は、地理空間情報を「地球上の物理的な特徴および特定された地点の活動について、画像、地図、測地データなどを活用し、分析して得られる情報」と定義し、電子情報や通信情報とならぶインテリジェンス(情報)分野の重要な素材・データと位置づけている。

     井上氏によると、軍事においては相手の進撃情報や自らの行動予定に対して、地理空間情報を考慮しないと作戦において的確な判断はできないという。

    「地質、路面状況、植生など、任務の遂行に影響を与えそうなデータと地理、地形が結びつけられた情報が必要です。例えば地図上に道路や橋が記載されていても、その強度や状態、舗装の有無などが分からないと、重量のある戦闘車両は安易に通行できません。また地質によっては装輪車両の走行が難しくなる軟弱な土壌の地点もあり、それが分からないと兵員の輸送や物資の補給などに支障が出かねない。その土地の植物の種類や生え方などの植生の状況も考慮しないと、着衣の迷彩パターンが現地の状況と合わなくて、逆に目立ってしまうという事態を引き起こしてしまいます。このように地理空間情報は、地図という平面の情報に、さまざまなデータを複合させた立体的な情報なのです」

    湾岸戦争で世界が注目した地理空間情報の重要性

    画像: 湾岸戦争で世界が注目した地理空間情報の重要性

     地理空間情報の重要性をクローズアップさせたのは、91年の湾岸戦争であると、井上氏は語る。このときアメリカ軍は、GPSを利用して砂漠地帯での目標を設定して、正確に攻撃した。この攻撃目標を設定するために使われているのが、MGRS(Military Grid Reference System)という、アメリカ軍が40年代に開発した地図上のルールだ。これにより全世界を1メートル四方のゾーンに区切ることができ、細かい位置の特定ができるようになった。

     NATOや陸上自衛隊もこのMGRSを採用している。井上氏は、「アメリカ軍は地球上のあらゆる地域を対象に行動することが前提ですから、そのため地図上の共通規格が必要だったのです」とMGRSが設定された理由を語る。

     地理空間情報の重要性を認識していたアメリカは、2003年に国家機関である国家地理空間情報局(NGA)を発足させる。NGAは自然の地形だけでなく、建物や道路、橋などの建築物までの情報を収集、分析し、地図の作製、管理を行っている。

     今後IT系の技術がさらに発達していくにつれて、地理空間情報の重要性が加速されていくだろうと井上氏はみている。

    「もともと『兵要地誌』といって軍事において地図は、作戦に大きな影響を与える要素の1つでした。そのため地図は機密文書扱いされたこともありましたが、今では自宅にいながらネットで全世界を衛星写真で眺めることもできる。今後はITがより進化していく中で、地理空間情報はAR(拡張現実)技術と組み合わせたり、SNSを活用して位置情報を検索、伝達するなどして、さらに活用方法が広がっていくでしょう。それとともに情報のセキュリティーもより重要視されてくると思われます」

    【井上孝司氏】
    テクニカルライター。航空、鉄道、軍事などの分野で、メカニズムやシステムの解説、執筆を行っている。主な著書に『現代ミリタリー・インテリジェンス入門』(潮書房光人新社)、『とことんわかる! 艦艇入門講座』(イカロス出版)などがある。『配線略図で広がる鉄の世界』(秀和システム)で第35回交通図書賞一般部門・奨励賞を受賞

    (MAMOR2021年11月号)

    <文/古里学 写真提供/防衛省>

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